ラスコーリニコフ、罪と罰、ドストエフスキーと小学六年生

2012年11月23日 21:22:36

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ラスコーリニコフだ。
これが、ラスコーリニコフだ。この映像に魅入り、30年以上も昔の自分を思い出した。
もうそんなになるのか。長い付き合いだ。

ドストエフスキーに出会ったのは、小学六年生だった。
長州の片田舎。海と川と田んぼと山。そんな自然に寄り添うように集落が点在し、犬猫が駆け回っていた。
ぼくも、負けじと駆け回っていた。ドストエフスキーと出会うまでは、確かに駆け回っていた。



小学六年生。『罪と罰』を読んだ。ラスコーリニコフにしびれた。
12歳の頭であの小説の深い味わいを味わうことはできなかったはずだが、それでも、
ラスコーリニコフにしびれた。かっこいい、と思ったのだ。

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その日からラスコーリニコフごっこが始まった。今から30年以上も昔の話だ。
もちろん、ここに紹介するようなDVDなんかない。DVDそのものがない時代。
小説を読み、ぼくの頭の中につくられたラスコーリニコフの真似をして遊んだ。

遊んだ、というよりも、成りきっていた。
学生服の袖を通さず、肩からマントのようにかけ、うつむき加減で、陰気な顔で歩く。
歩くときには、「数を数える」か「独り言をぶつぶつ」と言う。

帰宅すると倒れるように学生服のままベッドに倒れ込み、誰かの問いに「いや・・・」と答え、
口癖は、「俺にあれができるのだろうか」「本当に俺はあれができるのだろうか」
ドイツ帽子の代わりの学生帽を目深にかぶり、田んぼの中のあぜ道を歩いた。

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ロシア国営放送が製作したドラマ『罪と罰』。原作そのままに作ってある。
これが、ラスコーリニコフか。ぼくが、小学六年生の頃に思い描いたイメージにそっくりだった。
そう。ぼくは、こんなラスコーリニコフを田んぼの真ん中で演じていたのだ。

それにしても、あの小説『罪と罰』をよくここまで忠実にドラマ化したものだ。
小説ではわかりにくい当時のロシアの風俗や家屋の様子などがよくわかる。
これでロシア語がわかればもっと面白いだろうなと思いながら、魅入ってしまった。

ラスコーリニコフに出会って30数年。何だかんだといいながら、今も数を数えながら歩いている。
次の一歩、運命の扉、次の一歩がまたぐ運命の敷居。ぼくの731歩目。
そして、今もつぶやく。「俺に、あれが、本当にできるのだろうか」と。