読んで書いて読んで書いて書いて考えて書いて読み直して書いて書いて

2013年3月3日 02:11:42

写真

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そんな毎日
読書はもちろん毎日のことなのだが、そのほとんどが仕事がらみというありさま
ずっとこんな形を望んできたのだけれども、いざこうなってみるとやっぱり大変だ
読むだけで仕事にならんかな、と思い続け、
読書という態様が換金性をもたんかな、と望み続け、
読書という立ち位置からあれやこれやと手を出してみたら、こうなった
読書代行は、一つの軌道に乗っている
確かな換金性を有し、継続的な信用も得られているようだ
書評を書くと言うことも一つの雑誌で足かけ7年も連載させていただいている
読書ということについてのエッセイも連載を切られることなく
読書会だの読書対談だの、読書と名のつくものは、あらかた嘗め尽くした感もある

そして、この月初
タイトな締切をこなすべく読んで書いて読んで書いてと目の酷使
こんな真夜中になってようやく脚本に手をつける
昨日まで書いたものを読み返し、手を入れ、考え直し、直し、書き

楽しいのだ
脚本を書くのが楽しいのだ
「脚本」と書いたけれども、作品を作るうえでの一つの言葉で描くスケッチというのが正確か
これは、長編詩だ
これは、言葉の復讐だ
これは、寺山さんや野田さんに対するアンチテーゼだ
そして、ラストにはジンテーゼに当然、到るだろう

そんなことを先日見沢さんと話した
見沢さん、ぼくは今年46歳です
その年です
見沢さん、ようやく追いつきましたよ
ずっと46歳を考えてたのですよ
ぼくは、この46歳をどうするのか
同じように八階から両手を広げて飛ぶのか
それともこの両手を真の翼にするのか
見沢さん
ぼくのこの右翼は、この左翼は、真の翼になりましたよ
この脚本を書いていてそれを実感してるんです
見沢さん
わかるでしょう
あなたもものを書いてきたのならその感触が
言葉が自分のものになり
コピーとオリジナルの振幅に心が揺れることもなく
ただ言葉が自分のものとして存在する実感
見沢さん
ぼくはようやくここに来ました
ぼくの両手は、イカロスの翼ではなく、真夜中に獲物を狩る両翼なんですよ

見沢さん、この日、墓前で話したことは、全部本当ですよ
さすがに声に出して他者に言うにはいささか恥ずかしいけどね

来年は47歳
寺山さんが死んだ年だ
一年

一年くらい、先に進んでるのかな
まあ、どうでもいいが、真夜中に脚本を取り組むという当たり前のスタイルを保持しつつ

原稿用紙に刻まれる間違えの無いぼくの言葉は官能だ
書いていてこんなに気持ちよかったことは初めてだ