稽古という出来事を随分と長い間考えてきたけれども、「稽古」という言葉にやっぱりどうにもどうしても違和感を覚えるのだ。

2013年4月12日 00:09:06

俳優に手渡した脚本には、たくさんのト書きが書かれている。
多分、他のどんな脚本よりも多量のト書きだ。
こんなに長いト書きを少なくともぼくは、他に知らない。
そして、『暗室の窃視者』という作品。
この作品を心から楽しもうとするならば、
この「高木ごっこ」の2800に及ぶ記事を最初から全て読めばいい。
ふらふらと夜の街を歩きながら、そう思った。
けれどもそれはなかなか難儀なことだろう。
脚本だけで、作品だけで、それを「楽しんだり」「けなしたり」するのが本当だ。

それはさておき、

どうしても今、ここで書いておかなければならないことがある。
存在の声に呼びかけられて、すべての存在者のうちでただ一人の人間だけが、
存在者が存在するという驚異のなかの驚異を体験する、という事だ。