政治と演劇
2013年12月14日 23:27:35
昔から、演劇に政治が持ち込まれるのが嫌いだった
生理的にも耐え難かったし、論理的にも受け入れがたかった
演劇、と書いたが、こんな話題だからわざわざ演劇と言う語を使っている
最近では、もう演劇と言う語を使うことはない
まれに口にしたりする時は、相手に合わせている時だけだ
政治と演劇
もちろん、政治的な演劇ではないし、政治をテーマやモチーフにした演劇でもない
演劇を作るための個人間のあるいは団体間の関わりと言う意味だ
根回し的な阿諛追従から始まり、有形無形の収賄贈賄
演劇に対して酷い侮辱だと感じてしまうのだ
演劇作品が総合芸術だと言われて久しい
その一言は錦の印籠のように大手を振って歩き回り、圧倒的な説得力を手にした
総合芸術という真の意味をはき違えた愚かな素人が歩き回っている
自分が何かになったと勘違いした素人が歩き回っている
と書くとなにやらマルクス・エンゲルスのようだ
とすれば、この文章の締めは
万国の独歩せし荒野よ、団結せよ! と言ったところか
論理矛盾も甚だしいが、マルエンのそれは共産党宣言であり、
今ここにあるのは、その真に正反対なのだから矛盾することが正しい
もう何年も演劇(演劇と打つたびに軽い苛立ちを覚える)は、
一人でしか創ることはできないと言い続け、そんな作品を発表してきたが、
どうにも手ごたえがない
きっと次の作品のオープニングには、また「俺の声」が会場を埋めるだろう
そして、作品の発表を待つ鑑賞者の耳には、
「俺は好きな時に飛ぶ」と彼の声が聞こえるだろう
波打ち際に砂の城を作って
波にさらわれて崩れ溶けて消えてだからまた作る
しかし悲しいのはなぜか
しかし寂しいのはなせか
演劇における政治的行動を排除し続けてきた
そうしてこの身がクリアになればなるほど演劇(!)の世界は遠ざかり
代わりに巨大な砂の城が浮かび上がってくる
政治的行動に身を投じたとしたら、それは簡単に行く末が想像できてしまう
作品を創るという事はそうやって簡単に未来を覗き見ることだろうか
ゴッホではないが、運命に逆らうことが出来ないがゆえに逆らうのですよ