見沢さんのフクロウ

2014年3月13日 04:56:18

写真

机の上にいる見沢フクロウ
時間が過ぎていく
どんどんどんどん過ぎていく
見沢さんが死んで今年で9年

見沢さんが死んでしまったからこそ考えられたことがある
その死に向き合ってみたからこそ知った言葉もある

見沢フクロウが机の上でのんきに存在している
次の作品のオープニング
その姿こそがぼくが創ろうとあがいてきた巨大なイエスを画にしたものになるはずだ
やっぱり一人なんですよ、ときっとそのオープニングは雄弁に語るはずだ

孤独を描き、孤独を表現して、見せること、はとても簡単なのに
ひとりを書き描き表現して見せることのあまりの難しさにびっくりしてきたこの数年

オープニングの最終形態或いはエンディングの無価値
次の作品は五月
物語はあるし台詞もできている音楽もほぼ聞こえ画としては完全にできあがっている
これまでのようにそんな点がある種具体的な創作上の問題点であるとするならば、
次回の作品に問題などなにもない

なにもないのだが、それ以上の問題が発生している
こんな事態は想定していなかった、が、こうなってしまえばなるほど当たり前の話だ
と納得もできる
創作上の問題は何もないにもかかわらず創作そのものという立場においての大問題

ひとり、か

なるほど、それこそがオープニングなんだな
ひとり、それにみんな耐えられるのだろうか