本を読む女の膝
2014年3月22日 23:31:14
ちょうど向かいの席に座った女が化粧を始めた
地下鉄の車内だ
順番にバッグの中から化粧道具を取り出し、顔を作っていく
その女のとなりの女性はちらちらとその様子を見、露骨に嫌な顔をしていた
二駅が過ぎて、女の顔は次第に明るくなってきた
年の頃は十代後半か、二十代前半か
公共の場でこうしてお化粧をすることに対して、ぼくは特に意見はない
見ていて、顔をしかめるほど不快でもないし、
魅入ってしまうほどの快楽でもない
三駅が過ぎ、四駅が過ぎた
ぼくはなるべく気付かれないように女を見ていた
あることに気が付いた
化粧が進むにつれて、女の膝が緩んで開いていくのだ
女の両膝の構造がどうなっているか、ぼくは知らない
男と女とどこか何か差異があるのかどうかも知らない
知らないが、女の膝はゆっくりと開いていった
ぼくが乗り換える駅でその女も席を立った
五駅で化粧を終えた、ということだ。早いのか遅いのかそれもわからない
別の路線に乗り換えるために改札を出た
出て、そうだ、と思いつき、書店に足を向けた
ちょっと見ておきたい本を思い出したのだ
約束の時間には充分に間に合う
書店に入り、新刊のコーナー、新書のコーナー、文庫のコーナーと順に見た
文庫のコーナーにあの女がいた
顔はあまり印象になかったが、短めのスカートとその膝を覚えていた
今は書棚を向き、ぼくに膝の裏を見せている
新潮文庫の棚だ
何気なく見ていると、女は、太宰の「人間失格」を手に取った
(おっ?)と思うと、
女は指で棚をさしながら、次に「こころ」を抜き、そして「明暗」を手にした
左手に「人間失格」と「こころ」
右手に「明暗」
その右手にもった「明暗」の裏の内容を読んでいる
漱石か、いいな、久しぶりに何か一冊読んでみようかな、とその姿を見て思った
ぼくは、ぼくの用事を済ませ書店を後にしようとしたら、
その女はレジに並んでいた
三冊の本を持っている
ふと女の鞄を見てみると、薄汚れたYONDA君がゆらゆら揺れていた
これでもか、というほど化粧品が詰まったバッグだ
という事が大きなターミナルであったのだが、まあ、そんなこともあるだろう
そして、はたと考えるのだ
「こころ」と「明暗」は、まあいい
興味をもって、読んでみたいと思い手にしたのだろう
だが、
「人間失格」がわからないのだ
薄汚れたYONDA君、車内での化粧、緩む膝、漱石という選択、
書棚の見方、書店での態度、
それらと、「人間失格」を今ここで買うという行為がどうしても結びつかない
(「人間失格」、君、もってるでしょ!)と突っ込みの一つも入れたくなる
或いは、車内で化粧をしている時に女は、
(あっ! そうだ、人間失格を読もう!)と思い立ったのか
それならわからなくはないのだが、
その感覚と化粧がどうにも結びつかない
それほど考えることでもないのかもしれないが、そんな風に太宰は読まれ、
漱石は手にされる
レジに並ぶ女の顔を見た
五駅を費やした化粧は見事に結実し、恐るべき無表情を際立たせていた
二度と会うことのない見ず知らずの他人
「人間失格」を手にし、漱石を読みたいと思った他人
世界はきっと計算できないのだ
計算を越えて、純粋に証明だけを提示できるのが作品であるとするならば
演劇は、ただの演劇でしかなく、作品とは呼べないということになる
思った通りだ
この数年まとわりついていた演劇という言葉への漠然とした嫌悪感
それは、そういうことだったのだ
なるほど
ここ数年の一つの解を見ず知らずの女が教えてくれた