映画を観てみたり、お墓参りに行ってみたり、眼鏡を作りかえてみたり
2015年3月22日 02:33:44
なんだかんだと毎月お墓に足を運ぶ
温かくなってきてバイクでそこに向かうのも楽になって来た
水もぬるみ見沢さんと母ちゃんに挨拶をする
見沢さんが死んで10年、そして、母ちゃんが死んで1年
時は、確かに、過ぎていく
いいも悪いもないのだろう
ただ過ぎていくだけだ
それだけだ
その時の中でぼくの視力は確実に落ち、老眼は加速度的に進み、
記憶力や瞬発力や体力や持続力なんていうさまざまな肉体に起因する力は
驚くほどの速度で低下していく
毎朝目を覚ますたびにそれを実感するほどだ
反比例する力はあるのだろうか
年を重ねるほどいい作品ができる、とも思えない
経験が作品に対して必ずしもいい影響を与えるとも断言できない
若い人で凄いのを作ったりする人がいる
例えばゆとり世代
ぼくは彼らの秘めている爆発力を怖れ、そしてそれに期待している
次の天才があらわれるのはゆとり世代からだと思っている
そう、年をとれば肉体は衰えるが精神力だの経験力だのが重ねられて
いい作品を創れる、とぼくの先輩たちは、ぼくに言った
でも、そんな彼らが創る作品は、彼自身の手垢にまみれ、若い人の底知れぬ力をもてあまし
彼自身がその地位に安住し、名前だけが大きくなり、その作品は一夜の酒のように
翌日には鑑賞者の器官から気持ちよく排泄される
そんな作品ばかりじゃないか
創れないんだったら、やめればいいのに
そんなにその場所は気持ちがいいのか
誰もがいう事を聞きその話すところが障害もなく突き進めるそこが気持ちいいのか
あなたは、そんな場所に、行きたかったのか
ぼくが憧れ目標にし手が届かずその場所を夢見た人たちはなぜかみんな、死んだ、死んでいる
なぜだろうか
老醜
見えずに、作ったことがばればれの作品ばかりだ
ぼくは、見ることができなくなったら、きれいさっぱりやめてしまうだろう
こんな苦しい事なんか
見たくもない
見たくもないのに見てしまう、だから、ぼくはバイクに乗り、ここにいるのだ
花粉症に対するマスクと同じだ
嫌いなのだ、マスクが
美しくないのだ
それと、同じだ
この目を潰してみたいという衝動
視覚を失えば、この見える画はもっとクリアに見えるんじゃないだろうか
そこに向かっているのか、視力がどんどん落ちていく
遠近両用メガネ、度数は前よりもきつくなった
レンズの色も前よりも濃くしてみた
そして、アドレス帳を整理してみた
どんどん削除していったら、3分の1にまで減った
この調子で、パソコンをぼちぼち整理するか
全てのデータを消していく
撮りためた写真ももういらないだろう
書いてきた原稿だの脚本もいらないだろう
アドレス帳が空っぽになり、パソコンを海の中にでも投げ捨てて
5冊の本だけを残し
ぼくはアルバイトでもしながら、また一から、舞台作品に取り組むのだ
そんなことを見沢さんと話してきた
見沢さんはそれに対して何も言わなかったが
母ちゃんは、「まあ、大変ですね」と言った