『誰もが作品なのだ』鈴木邦男
2015年7月24日 21:42:47
8月『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代〜』にコメントをいただきました
『誰もが作品なのだ』鈴木邦男
すごい男だった。すごい母だった。
僕には一生わからないような人生を突っ走った見沢知廉。
その見沢にぴったりと寄り添い続けた母、高橋京子。
ギリシャ悲劇のような母子の情念を間近で見てきた僕は、そのあまりの深さに恐怖すら覚えたものだ。
獄中の12 年間、母は一日おきに手紙を書き、毎週のように面会に行った。
そんな事、最初の一年二年はできても、12 年間も続けられるものではない。
見沢は出所後、母との約束どおり作家となり、次々と本を出した。
それを見ながら恐ろしい執念だと思ったものだ。
ドストエフスキーのような男だった。
「苦しむこともまた才能の一つである」とドストエフスキーは言ったが、
見沢の人生は、その苦しむことの才能を遺憾なく発揮した人生だったのかもしれない。
その苦しむことの才能は、見事に文学に結実した。
見沢の一挙手一投足が、周りの多くの人の歩みを変えた。
僕も変えられた一人だ。見沢が起こしたスパイ粛清事件は、政治運動のあり方を変えた。
僕は雑誌「SPA!」にその事件を連載した。
彼の死後も影響を与え続けている。
劇団再生は、見沢の代表作『天皇ごっこ』から誕生した。
大浦信行監督は、見沢知廉の映画を生んだ。
作家山平重樹さんは、見沢物語を連載した。
母高橋京子は、見沢知廉という作品を残し、見沢知廉は、僕たちという作品を残したのだ。