見沢さんのお母さん
2007年4月11日 01:40:42
毎日、毎日、
なんだかんだと言いながらも、
夜が明けて、夜が来て。
この一日という単位を不思議に思う。
どうして、この単位が必要なのか。
一日という単位がなくても、
同じように人間は生きていけるんじゃないかと。
睡眠と覚醒の繰り返しの狭間、
SFと自分を呼ぶ声が聞こえる。
先日、故見沢知廉氏のお母さんと会った。
彼女が現在到達している、その年齢には
とても見えない、そのエネルギー。
元気がよく、頭の回転が速く、圧倒される。
彼女と話しながら、その歩んできた人生をトレースしてみよう、
と、
試みる。
無理なんだけどね・・・
その一言一言は、確かに、
一日という単位を繰り返し、
こうやって、真夜中、原稿用紙を前にして、
覗いてはいけない(多分)開放と(多分)断絶の狭間に
近づいてみようと試みる、
が、
難しい。
そこは、言葉の世界。
SFと呼ぶ声がする。
人間が、近づこうと挑み続ける、言葉の世界。
近づいていいのか・・・
覗いていいのか・・・
イカロスのように、翼を焼かれるのがわかっていても。