『モンテスキュー』【人類の知的遺産39】

2015年12月22日 19:59:05

「母なくして生まれた子」

「母なくして生まれた子」

モンテスキュー『法の精神』のタイトルには、ラテン語でそんな銘句がついている。果たして、母なくして「何か」が生まれたりするだろうか。

もちろん、生物学上の話ではない。思想だの、作品だの、言葉だの文脈だ、という話だ。

モンテスキューは、その一言をローマの詩人オウィディウスの言葉として紹介している。

調べてみたがどうもピンとこない。オウィディウスの『変身物語』(岩波文庫で読むことができる)にそれに近い表現を見ることができるが、どうか。

 

これまでこの「母」は様々に解釈されてきた。

母は、「モデル」ないしは、「先駆者」を意味する。

或いは、「援助」、「支持」、「忠告」、「協力」を意味する。(ヴァルケネル説)

また或いは、出版における「スポンサー」を意味する。(ドマン・ド・クルゥジャク説)

その他、「自由」という解釈もある。(トラヴェール説)

また、「理性」という説もあるようだ。

 

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モンテスキューと言えば、三権分立だが、

モンテスキューは、フランスの貴族だ。

父母の遺産を相続し、男爵となり、貴族の生活と諸国歴訪、そして執筆の人生だったようだ。

イギリスに影響を受け、フランスの絶対王政を批判した。

「法」ということを考え続けた晩年だ。

その思考の完成度の高さは、今も世界の基底を支えていることを見ればよくわかる。

三権分立というが、現在では四権分立ともいう。第四の権力は、マスコミというか、報道だ。

そして、第五の権力として、教育ということをあげる人もいる。

実際モンテスキューも、三権分立と固定化したわけではなく、時代や国や制度に沿った権力の分散を「法の精神」で説いている。

 

『法の精神』

「法の精神」を貫いているのは、何と言っても「自由」という概念だ。それは、全六部で構成されている本書を読み通してみるとよくわかる。

  • 第一部は、政体の格律の問題
  • 第二部は、政治的および市民的自由の問題
  • 第三部は、第二部の否定としての政治的市民的および家内的奴隷制ないし隷属性の問題
  • 第四部と第五部は、それぞれ各政体の経済と宗教のあり方の問題
  • 第六部は、ヨーロッパの自由の歴史的起源

全体を通じて、通奏低音のように「自由」が問題にされ続けているのだ。

 

「政治的文献に関して、『法の精神』は啓蒙の世紀のヨーロッパ文芸上の最大の出来事であった」

 

と言われる本書。今、改めて読むと、多くの問題が何も解決することなく、時局的アイデア的な法整備と場当たり的なシステム構築で今に至っていることがよくわかる。それは、ヨーロッパに限らず、アメリカも日本もだ。理想論だ、という意見も多いだろう。だが、ユートピアを夢見ない毎日に何の意味があるだろうか。