愁いの王
2016年8月15日 21:56:53
まったく新しいことの創出
埴谷雄高の『死霊』第六章に登場する若き王。
愁いの王。
「自らが自らより産み出すほかの何ものをも自らのなかに置いてはならぬ」と語る。そして、この王は、自らの秘密を語り終えると同時に呼吸を止める。
何度読んでも苦しくなる場面だ。理解できるのだ。その感覚が。自らより産み出す他の何ものも自らに置いてはならない、という戒律。そして、自らの秘密を語り終えると自ら呼吸を止める、こと。
いくつもの作品を創り、今、次の作品を発表する明確な機会がない、今、ぼく以外の人が創る舞台作品を見ながら、思うのだ。ぼくが創ってきたものは一体何だったんだ。あなたが創るそれは一体なんなんだ。空虚。ぽっかりと大きな空に空いた、穴。もういい、誰でも勝手にそこから覗いてくれ。あなたのそれとぼくのそれの間に蟻の足跡ほどの差もないという現実。自己意識の限界。
三輪与志は、愁いの王よりさらに進んでいく。これまでの存在の中にもこれからの存在の中にもまったくない彼自身による自己自身のまったく新しい、まったく恐ろしい宇宙のはじめての創出を目指そうとするのだ。なんてことだ!何千年も多くの哲学者が挑んできた究極の問いに対して、彼は発動を始めるのだ。「念速」という速度をもって。
空っぽの止まり木をぼんやりと眺めながら
空っぽの止まり木にお前を見ながら
空っぽの夜にお前の声を聞きながら
そういえば、お前は、哲学者みたいな顔をしていたな、時々。