何をしなければいけないのかを考える、それも性質。何を、の主語は、私は、であり、それも一つの性質。

2007年9月20日 21:43:31

大君に仕えまつれる若人は
今も昔も心変わらじ

山口ニ矢は、辞世の句を、
詠んだ。

どうにも切れの悪い体と頭にいらつきつつ、
いつも依存しているネットワークに恐怖し、
その一本の依存を断ち切ってしまおうと、

そして、
キーボードという入力装置の美に嫉妬し、
それを叩き壊そうと、
拳を握ってみる。

その両方も、自分が思い描いた結果を引き出すことはなく、
今もこうやってキーボードで入力し、
一本の線で世界とつながる。

何かをしなければならない。
と、頭の中であがき続ける。
溢れる言葉。

そうだ、結局、それか。

殺すテロルと生かすテロル。
読むか、
書くか、
死ぬか、しかないじゃないか。

結局それか。

生きるべき人を生かすのも、テロル。

何をなすべきか。