鈴木邦男という質量・・・同じ体験は経験できなくても、同じ経験をすることはできる。
2008年1月8日 22:39:34
昨年末、鈴木邦男さんにお借りした。
『生学連新聞縮刷版』
昭和43年7月1日から昭和54年5月1日までの新聞。
自分が長州の片田舎でぼんやりのんびり本を読んでいた時代。
高熱を発する言葉。
創刊号から目を通していた。
強烈な論文が並んでいる。
学生が書いたものとは思えない、整然とした論理。
あふれる情熱を、「伝える」ために抑制していることがわかる。
熱にあかせてペンを走らせてはいない。
情熱を言葉に置き換えるために、
冷徹に冷静に言葉を選んでいる。
推敲に推敲を重ねたのだろう。
言葉が生き生きと今も踊っているのがわかる。
三島由紀夫・森田必勝両烈士が市ヶ谷台上で決起した時代。
市ヶ谷台義挙のあとに出された新聞がこれ。
この後、裁判の模様が連載されていくのだ。
その筆もあふれる熱情を冷静な自制心。