ふくろうを飼うということ

2008年2月4日 00:38:56

写真

雪を見ていたら、気がついた。
「現在」という「現在」が抱える二面性。
とても当たり前のこと過ぎて、
「あっ、そうか」と気づいたときには、笑ってしまった。

それにしても、当たり前すぎる発見。

「雪降りふる 最後の一片 たりえんと」

誰が詠んだ句だったか。
思い出せない。
調べると分かるのだろうけれど、
なぜか調べることが失礼な気がする。雪だ。

雪降る池袋から、『梟屋』さんに電話。
いつもの明るい声が返ってきた。
彼女の声は、いつも明るい。
声を聞くと、その梟好きの笑顔が浮かんでくる声。

餌を注文すること、と、
もう一件、別件のお話をする。

『梟屋』というくらいだから、梟屋さんなわけで、
けれども、商売気があるのかないのか。
商売よりも、『梟が大好き』という気の方が勝っているのだ。

高木の飼っているというか、
高木の部屋をいまや我が物にしてしまった、こいつは、
『アフリカオオコノハ』という種類。
耳みたいな羽があり、「ミミズク」の仲間。
けれど、高木は、ふくろう、と言う。他意はなし。

そう、『アフリカオオコノハ』。
その飼育について、彼女と話す。
最近テレビなんかで取り上げられたりして、
人気が出てきているよう。
2年前に高木が予告したように、
「ペットとしての梟ブーム」がそろそろ来るのではないか。

しかし、と、梟屋さんと話す。
「気が強い種類なんですよね」
「犬みたいに普通に懐くわけではないんですよ」
「慣れないで困ると相談される」
「いつまでも慣れてくれず手放す人もいる」

もちろん、梟の中にもとてもなつく種類もいる。
人の手の上でいつまでもおとなしくしているのもいる。

高木が『アフリカオオコノハ』を選んだのは、
やっぱりその表情の豊かさ。
たくさんの写真をみた。
たくさんのHPを見た。
飼うと決心するまで半年。

そこで出会ったのが『梟屋』さん。

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もうすぐ、ここのHPもリニューアルするみたい。

良い人と出会えた。
良いお店と出会えた。
そして、良い個体と出会えた。

コトバと名づけたうちの『アフリカオオコノハ』

多分、理想以上になついているのだろう。
コツは?と聞かれるかもしれない。

なんだろう?
コトバの意思や感情を尊重するということだろうか。
過保護でもいいと思う。
厳しい飼育でもそれはそれでよいと思う。
ただ、こいつが生きている、ということを尊重する。
覚悟を決める。
こいつと一緒に生きる、と。

今も眠そうな顔で、パソコンをうつ手元を見ている。

眠いときには、こんな顔。
「なんて顔をしてんだ」と声をかけると、
「にゃー」

外の雪を知ってか知らずか、
「にゃー」