日本という質量・・・5 『飽きずに再軍備』

2006年8月3日 20:41:33

毎日いろいろな事件や事故があります。
自分は、それらの事件や事故に
今のところ遭遇していません。
交通事故で毎日いくつもの命が失われています。
予想できない事故で命が失われます。
人災とも言えるミスで命が失われます。
そして、この60億を越える命を抱える地球上で、

「人間」が失われて、います。

同胞が同胞を守るために、
何のためらいがあるのか!

同胞を守るために、
戦うという正義がなぜ貫かれないのか!

同胞を抱き締めるために
力を持つことに何を、何を・・・

正義を貫くこと以上の正義はありません。

1950年6月、朝鮮戦争勃発。
占領政策で日本に進駐していた多くの米軍多兵士が朝鮮半島に出兵。
アメリカは、「人的資源の節約」が必要となります。
そりゃそうです。
占領を続ける。日本の治安は不安だし、
でも、戦争なんで、朝鮮にも派兵しなければならない。
兵隊が足らない。
人手が足らないなあ・・・
ん〜・・・・どうしよう。
と、
1950年7月、アメリカは「警察予備隊」を
作るよう占領下の日本に指令。
で、出来ました。
その「警察予備隊」というものが、
1952年には「保安隊」
1954年に、「自衛隊」へと
改組されていきました。

ところで、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約を結び、
独立を回復しています。
でも、日本に駐留を続けたかったアメリカは、
最初の「日米安全保障条約」を結び、
講和条約と同じ日にこれを発効させます。
この安保条約は、
日本に米軍の基地を提供させるが、
日本が攻められたとき、
米軍は独自の判断で対処するというもの・・・・
「片務的基地提供条約」・・・・・です・・・・

日本はいい様にやられています。
まあ、この辺は仕方のないところです・・・・

で、ここで
米国は日本政府に対して軍事援助を持ちかけ
「軍備増強」への圧力をかけてくるわけです。

1953年10月に行なわれた、
池田勇人自由党政務調査会長(後に外相・首相)と
ロバートソン国務次官補との会談では、
アメリカが日本の「軍備増強」を求め、
当時の保安隊の陸上戦力を32万5千人にせよと要求しました。

ん〜・・・まあ、この辺も仕方ないとしましょう。

この時代、
日本は、「質量」を失っていました。
「日本」というしかとした質量。
ふわふわ、ふわふわ・・・・
風船のような日本は、
アメリカに「ぷーっ」と空気をいれられ、
程よい大きさになったところで、
「ぽーんっ、ぽーんっ」と
遊ばれて、

おや、しぼんできたぞ、って、
前以上に空気をいれられ、

日本・・・・
地に足つかず、

ちょっとずつ空気は漏れ・・・・