消息不明の友人に手紙を書いた。コトバが寝ている前で。
2008年11月6日 22:40:13
朝起きて、コトバの奴をなでた。
よしよしと頭をなでると、だんだん小さくなって、最後は猫みたい。
夕方、友人に手紙を書いた。
もう10年以上も消息のわからない友人。
住所は以前知っているところに。おそらくまた戻ってくるのだろう。
彼は今、何をしているのか。
元気でいるならそれでよし。
死んでしまったのならそれはそれだ。
一筆啓上ご無沙汰元気か?
お前は稽古場で言ってたね。
稽古場でそんな芝居しかできないのなら、死ね、と。
命の無い稽古場をお前はとことん嫌った。
一筆啓上ご無沙汰元気か?
夕方、ふくろうの切手を貼って、投函した。
毎日、毎日がある。困ったもんだ。
すぱっと、毎日が終わらないか。
きれいさっぱり毎日が終わらないか。
何の後悔もない。何の悔いもない。
本を読んでいる。演劇を劇団員と創っている。
脚本を書いている。それのどこに後悔が入り込めるか。
例えば明日、
すっぱりと毎日が終わっていたらどんなに美しいか。
読みたい本があるかどうか尋ねられたら、それはある、と答える。
創りたい演劇があるかどうか尋ねられたら、もちろん、と答える。
書きたいものがあるかと尋ねられたら、当然、と答える。
しかし、それと毎日が断続することは別だ。
毎日の終焉は、それはそれはきれいなものだろう。
また、同じ夢を見た。
「高木さん、地球は丸くないんですよ」と告げられる夢。
それを告げていく人はいろいろだ。
こないだは、拳銃を突きつけられて、見知らぬ男に言われた。
今回は、劇団員の一人が狂気の目でそれを言った。
その劇団員のそんな顔を見たことがない。
それは芝居でもなんでもない顔だった。
「高木さん、地球は丸くないんですよ」
「繰り返してください」
「地球は、丸くないんですよ」
何度、この夢を見ただろう。本とに地球は丸くないのではないか、と思ってしまう。
ましてや、今回は劇団員だ。信じるしかないだろう。
嘘をつく必然も必要も無いはずだ。
そんな夢を見て、コトバの奴をなでた。
よしよし、と言いながら、
小さくなっていくコトバを眺めながら。
夕方投函した手紙はまた戻ってくるだろう。
そう思いながら、稽古場に入った。