見沢さんのお墓参り、驚くほどの晴天1月

2009年1月5日 01:16:42

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先日、映画監督の大浦信行さんと見沢さんのお墓参りに。
先に着いていた大浦さんは、のんびりと陽を浴びていた。

墓前で見沢さんの話をする。

見沢さんの映画を撮っている大浦さん。
映画の内容はどんなものになるのか。
その断片を聞く。

なるほど。そんなアプローチがあったか。
と、映画という表現方法の飛躍性に嫉妬する。
演劇に、演劇でしかできない表現があるように、
映画には、映画でしかできないその方法がある。

その映画ゆえのあまりの飛翔性に、嫉妬した。

映画と演劇の違いについて、話が及ぶ。
いくつかの諸点で意見は一致し、
作品に向かうエネルギーという点で完全に一致した。

映画という表現。
演劇という表現。
言葉という表現。

それぞれに得手不得手があるだろう。
けれども、おんなじなんだな、全くおんなじなんだな、と思う。
墓前で話した数々の楽しい事ごとを見沢さんも聞いただろう。
真っ青の太陽の下で、
太陽が嫌いだったという見沢さんも聞き耳をたて、聞いただろう。
8月。
見沢さんが生まれて50年目。
8月23日。50歳の誕生日。

生者ができることといったら、その日を知ることだけだ。
その日を知り続けることだけだ。
本を読み続けている数日。そして、脚本に取り組みつつある数日。
見沢さん50歳の打ち合わせをいくつもすませ、
その具体的な動きをいくつも決定し、
目の前の真っ白な原稿用紙をにらみつける。