高木ごっこ・・・557-102『高木ごっこ』

2009年3月3日 22:42:55

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このHPの名称は、『高木ごっこ』。
3年前に公開するときに、そう決めた。
ドメインも、takagigokko.com

ごっこ、か。と、考えることがある。

いろんな局面で使われる「ごっこ」という言葉。
大体が名詞にくっついて使われる。
何かになったつもりでの遊びとか、模倣、そんな意味合いだろう。
子供の世界では、微笑ましい印象を与え、
大人の世界では、軽い侮蔑感を与えるのかもしれない。

江藤淳は、『〈ごっこ〉の世界の終わったとき』(論文・1970年)で、
全共闘も三島も「ごっこ」をやっているにすぎない、と論じた。
全共闘は、「革命ごっこ」。三島は、「軍隊ごっこ」と。

江藤淳のその論点は、
60年、70年の日本の経済的繁栄は、
アメリカありき、パクス・アメリカーナで、
「革命」も「軍隊」もそのアメリカという真の権力を見据えないところは、
『ごっこ』にしかならない、ということだ。

ごっこ、か。

けれども、三島は、『檄』にもあるように、
少なくとも全共闘よりは、アメリカを見ていた。
それでも、「ごっこ」と論じられた。

見沢知廉は、『天皇ごっこ』を書いた。
その「ごっこ」の真意を知りたかった。
知りたくて、何度も「天皇ごっこ」を読んだ。
氏の著作を読み漁った。
舞台で上演した。氏を知るたくさんの人に話を聞いた。
上演するときに、「タイトルが不敬だ!」と諸先輩にお叱りを受けた。
誹謗された。脅迫された。
見沢さんが、出版したときにもそんな状況があったそうだ。

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見沢さんは、どうして『天皇ごっこ』とつけたのだろう。

何度も読み返してぼろぼろになってしまった文庫版の「天皇ごっこ」がここにある。

見沢さんが「ごっこ」をつけたのは、「天皇」。
もちろん、「天皇」を云々ということはない。それは誰でも一読すれば分かる。
では、「天皇」と「ごっこ」の間にある、隠された名詞はなんだろう。
それを、ずっと考えていた。
三回忌公演の時から、ずっと考えていた。
毎月、見沢さんのお墓にお参りし、考えたことを話す。
お母さんとの手紙のやりとりで、見沢さんを思う。
舞台上演のために何度も著作を読み返す。

「天皇」と「ごっこ」の間にある隠された一言。

それがようやく言葉になった。
(ああ、そうか、なるほど)と不意に思った。
見沢さんの全著作に共通する一言だった。
彼の生前のいろんなことに辻褄が合い、行動の合理性を証明した。
稽古場に向かいながら、その名詞に普遍性があるかどうか、考えていた。

普遍性があれば、見沢さんもタイトルにそう書いたのではないか。
考えつくして、その言葉を飲み込んだのではないか。
耐え難い葛藤の後に、一人、それを抱え込もうとしたのではないか。

そう考えれば、いろんなことに説明がつく。
今日、陽羅義光さんから手紙をいただいた。
そこには、生前の見沢さんのことが書かれていた。

「天皇」と「ごっこ」の間に隠された一言。
普遍性を持つことが困難な一言。
しかし、

埴谷雄高は、その一言に普遍性を持たせるべく挑戦した。
何十年も掛けて挑戦した。
見沢さんもそうしたかったはずだ。
その一言に永遠の命を与えたかったはずだ。そりゃそうだ。
埴谷雄高は、驚くほどの推敲を重ねた「死霊」において、その一言に永遠を与えた。

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雪か。

稽古場を出るのは、最後。
バイクに荷物を積み、皆の後姿を見る。
後姿を見ながら、大体煙草を吸っている。
そして、稽古場を後にする。

今まで行われていた言語道断破廉恥な稽古場の空気がまだ、
肺の中に残っている。

雪のひとひらを追う。
目で追えるその速度が好きだ。
目で追いながら、
この今日の雪のひとひらに完璧で理想的な落下速度を求めるけれども、

なかなか適うものは、ない。

稽古場からの2分間。
忙しく考え続けている脳という脳。
眉間に発熱を感じる。
目の奥が痙攣する。
雪か。体を冷やすだけ冷やしてみよう、と自宅を越えてバイクで走る。
稽古を終えて、

今、たった今の劇団員、
彼らの姿が、声が、空気がフラッシュする。
(俺は、一体、何をしてるんだろう)と、久しぶりにその問いが表層にあがってきた。
一番考えねばならないのはぼくだ。
一番の罰を受けなければならないのはぼくだ。
ぼくは甘えてはいないか。
ぼくは逃げてはいないか。

見沢さんは、死んだ。
その一年後に、ぼくは、「高木ごっこ」と名付け、ここにいる。
たくさんの言葉を遺して見沢さんが死んだ。言葉の寿命をやっぱり考える。
言葉はいつまで生きていられるのだろう。
そんな問いに対する答えは、あるはずがない。境界条件が不定すぎる。

見沢さん、言葉の寿命を知ってますか?
(あの一言、書きたかったでしょう)

帰宅すると、ダウンもグローブも顔もびしょ濡れになっていた。
けれども、体を冷やしたかいはあった。
「雪」という方程式に対する解の公式を知った。