脚本を書くのは、もうやめた

2009年5月17日 22:45:50

写真

もう何年も、「罪」と「罰」という二語しか表象にあがらない。

ドストエフスキーは、『罪と罰』という小説を書いた。
そのタイトルに、嫉妬し続けていた。ズバリと言い切って(ずるいよ)と思っていた。

理解者が欲しいと思う。
形而上と形而下を一跨ぎにこえる笑顔で、たった一言、
「そうだね」と。

「罪」と「罰」を書き続け、どこかでけりをつけようと書き続けて。
ドストエフスキーとは違う日本語の悲しさと、
ダンテの「三」に何か一言言葉を求めて、
トルストイの宗教の先にそれがあるのではないかと仮説を立て、
それを書き続けてきた。見沢さんもそうでしたね。

よくわかるんですよ、見沢さん。
『調律の帝国』というタイトルを決めたときの絶望と歓喜。
・・・調律の帝国・・・口にすると涙がでそうになります、見沢さん。

理解者が欲しい、と思いながら、告白するふりをし続けていた。
「ぼくの脚本は、告白だ」と宣言して、一年書いたけれども、
実は、告白でもなんでもない。フランソワ・ヴィヨンを思い浮かべる。
「吊るされ人のバラード」を思い浮かべる。
一句一句を正確に思い出すことはできないけれど、悲しく一句一句を思い浮かべる。

舞台でしかできないことに惹かれてきた。
演劇でしかできない表現に憑かれてきた。
そればかり考えていた気がする。
劇団の個性。パーソナル。ペルソナ。
イタリア人が「ヴィルトゥ」と言う。
スタンダールは、それを、「エネルギー」と解した。
全力をあげて、あらゆる障害を排除して、個性を発揮することだ。
自己の存在そのものの法則以外は、どんな法則も認めない、
抑制と制限を限りなくなくしたところの個性だ。

見沢さんは、何故、書いたのですか?
何故、書こうとしたのですか? 何故、書き続けたのですか?
見沢さんのペルソナを剥ぎ取った顔を知っていますよ。
だから、『調律の帝国』なんですね。

誰のために、何のために書くのか・・・
「自分のために」「観客のために」「作品のために」
「共闘する彼らのために」「贖罪のために」「生きるために」・・・
という答えは、その立てられた問いに対してあまりにも空疎に思える。

「思い上がるなよ、高木」と日暮里の劇場で誰かがぼくのメモ帳に書き込んだ。

その一言で、ぼくはいろんなことを思い出した。
ぼくは多分、強盗者だったのだろう。
ぼくは多分、簒奪者だったのだろう。
ぼくは多分、殺人者だったのだろう。
ぼくは多分、嫉妬者だったのだろう。
ぼくは多分、危害者だったのだろう。
ぼくは多分、兇器者だったのだろう。
ぼくは多分、火災者だったのだろう。
ぼくは多分、そうだったのだ。

そして、思い上がったついでに、今のうちに書いておく。
劇団再生が8月に上演する『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』
その舞台は、見沢さんが書いた『調律の帝国』を正確且つ唯一の解釈を施したものになる。
この舞台が『調律の帝国』解釈の、後の100年スタンダードになるはずだ。

理解者が、欲しい、と、見沢さんの声が聞こえていた。
ずっとずっと聞こえていた。何年も何年も聞こえていた。
見沢さん、見ていてください。

理解者が欲しい、とこうして書きながら、やっぱり表象にあるのは、「罪」と「罰」
「罪」とは何かを考え、考え、「罰」を受け、
「罰」を受けながら、「罪」を犯し続けている。

8月の舞台『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』の脚本を書くことを、やめた。

ぼくは、演劇を書く。