拝啓 見沢知廉様 999日を終え、こうしてまた一日目
2009年9月13日 00:40:41
27年前の昨日9月11日、見沢さんは事件を起こした。
「スパイ粛清事件」。人を一人殺し、千葉刑務所に収監された。
高木ごっこ連続更新1000日の記録は999日で途切れた、友人K&K氏によるありったけの仕掛け。
今日からまた1000日生きていなさい、とのメッセージ。
K&K氏お二人の顔を思い浮かべる。いたずらっ子の顔だ。にこにこして嬉しそうな顔だ。
それはそうと、あちこちから問い合わせを頂いた。
「どうしたんですか?」「1000日記録はダメだったんですか?」と。
サプライズを仕掛けた彼ら二人が笑っている。
このメッセージを見たときには、ぼくも驚いた。何が起こったんだ! と。
いいだろう。また一からスタートだ。空白の9月11日をはさみ、今日が一日目。
「高木ごっこは、高木さんの生存確認ですよ」と笑う二人。
よしきた。あと1000日くらいは生きてみるか。
たかだか1000日。書き続けてみるか。
たった1000日。書き続けてみるか。
27年前の9月11日、見沢さんは人を殺し、ぼくはそれを書き続け、
劇団再生は、それを創り続け、一本の映画が創られようとし、
その日から27年後の9月11日は、ぼくの空白だ。
友人が仕掛けた空白だ。その空白の中で、ぼくは真夜中を待ち続ける。
拝啓
見沢さん、お元気ですか。
毎月たくさんの話をするので、今あなたがどこにいるのかわからなくなることがあります。
拝啓
見沢さん、お元気ですか。
出所した日に見た空はどんな空でしたか。ぼくたちは、空に手を伸ばし続けています。
拝啓
見沢さん、また来月、そう言ってお別れして、
こんにちは、と、毎月対話します。見沢さん、また来月。ゆっくり話しましょう。
映画『天皇ごっこ〜たった一人の革命〜』の撮影が行われている。
大浦信行監督、カメラは辻智彦さん。
カメラを向けると、大浦監督はろくでなしの笑顔を笑い、
撮影師辻さんは、「レンズを向けられることがあまりなくて」と笑いながら、胸を張る。
先日の撮影は、劇団員あべあゆみのシーン。
いくつかのシーンを撮り終えて、照明やセットチェンジをし、
大浦監督と辻さんが打ち合わせ。こっそりとカメラを向けてみた。
命のある映画になる。必ずなる。
面白いとか、きれいとか、そんな形容じゃない、命のある映画だ。
もう少し撮影が残っているらしい。
監督の編集の都合もあり、売れっ子撮影師辻さんのスケジュールもあり、
秋から冬にかけて撮影は再開され、来年公開。
楽しみで仕方ない。
あべあゆみは、向けられるカメラと何を対話したのか。
モニタを覗き込む監督の横顔を見ながら、そう思った。
撮影の合間にデジカメを持ってうろうろしている自分。
たくさんの写真を撮った。
濃密な官能がこぼれるスタジオ、今も芸術家が集うスタジオ、
エロスとタナトスが目に見える、確かに見えるスタジオ、
あべあゆみは、エロスとタナトスに感応し言葉を求めていた。
そのスタジオを出ると、空があった。
見沢さん、出所の日に見た空はどんな空でしたか。
あべあゆみが空を見上げていた。
見沢さん、出所の日に見た空はどんな空でしたか。
ぼくたちは、空を見続けてきました。
ぼくたちは、空に手を伸ばし続けてきました。
ぼくたちが手を伸ばす空に何があるのかわからなくても、空に。空に。空に。
たった空。
たったの空。
そう呟きながら、空に手を伸ばしてきました。
見沢さん、数ヵ月後にはぼくたちの空をはっきりと創りますよ。
見沢さんは、信じていたのですね。
見沢さんを追いかけ始めたのはいつからだろう。
追いかけて、書いて、追いかけて、書いて、そして2年前に一つの舞台を創りました。
『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代〜』
三回忌でしたね。
あの頃からなにも変わっていないことに、今日、不意に気付いた。
気付いて、鏡を見た。ぼくがいた。けれども、鏡の中うつるぼくは、果たしてぼくだろうか。
笑い顔を作ってみる。
鏡の中のぼくも同じように笑い顔になる。
睨みつけてみる。
鏡の中のぼくも同じように睨みつけてくる。
けれども、それは同じぼくだろうか。
と、中学生の頃に抱いた不安が急激に蘇る。
そうだ。あの頃、ぼくは狂う、と思った。
ぼくが誰でもなくなり、ぼくの見えているもの全てが信じられなくなり、鏡が恐くなり、人の目が恐くなり、色のついたものが信じられなくなり、自分の目が信じられなくなり、自分の脳の処理が信じられなくなり、見えているもの、聞こえてくるもの、手に触れるもの、匂い、味覚、それらの全てが脳に騙されていると感じ、呼吸だけが早くなり、信じられるものは何故か痛みと、不安という感覚と、ばたばたと手を振ったときにかすかに感じる空気の抵抗と、理由もなにもないけれど、それだけが信じられ、
ぼくは、本を読んできた。
言葉を探してきた。
見沢さん、同じですね。
ぼくたちは死者と出会いながら、今日を別れ、夜を待ちながら、夜に別れ、
偉大な夜を知る者とだけ、言葉を交わしたい、と本能が声をあげる。
膝を抱えてうずくまるみなしごは、真夜中を待ち続ける。
真夜中を知るみなしごとだけ、言葉を交わしていたい、と本能が叫ぶ。
叫びすぎて、本能の喉は潰れたままだ。
死者と出会いながら、ぼくたちは、阿佐ヶ谷ロフトと出会った。
阿佐ヶ谷ロフトに演劇を持ち込み、その自由に演劇した。
『天皇ごっこ〜思想ちゃんと病ちゃんと〜』
見沢さんを追い続け、片思い。
片思いの熱量に勝るエネルギは、そうそうあるもんじゃない。
片思いのあの思考エネルギが創造に転化し、芸術に昇華し、見沢さん、
確かにそうなのかもしれません。
先日、行政の文化担当の方と話をした。
完全にオフの会合。いろんなことを話した。
「『天皇』って名前がついた芝居をやったんじゃ、助成はまず無理でしょうね」そう言った。
どうせそんなこったろうよ!
ファッキン文化庁! と毒づいてみた。その方は笑っていた。
見沢さんが『天皇ごっこ』と名付けた理由をはっきりと知りました。
はっきりと知り、納得し、くすりと笑いました。
空白の1000日目は昨日9月11日。見沢さんの9月11日。ぼくの9月11日。
そして、友人K&Kの9月11日。高木ごっこの9月11日。
友人K&Kに「参りました」とメールした。二人は笑っていることだろう。
次の1000日がいつかなんて知ったこっちゃない。
シジフォス?
山頂に岩を押し上げ続け、押し上げたとたんに岩は転げ落ち、また麓から岩を押し上げ、
それを永遠に繰り返し続けるシジフォス。
永遠の999日。そして、永遠を象徴する空白の一日。
なるほど、1000は、999+1か。
見沢さん、
見沢さんの作品をこれからも上演しますよ。
これから先それらの作品全部が全部『天皇ごっこ』ですよ。
言葉の海を創った。
言葉の空を創る。
言葉の大地も創るだろう。
夢見た言葉の千年王国。ユートピア。
空白の昨夜も言葉を求め、
空白の一日に言葉を求め、
夜という夜を知る誰かを求め続け、請い続け、
偉大な夜を知る誰かを求め続け、請い続け、
空に一編の詩を読む。
今日が、初日だ。幕が開いた。高木ごっこ1000日公演。