歌え、歌以外の歌を
2009年10月18日 02:21:35
結局いつもと同じだ。
読むか、書くか、死ぬか。それしかないじゃないか。
稽古を終えて、帰宅する。窓を開け放ち、空気を入れ替える。
米を食え、米を食え、米を食ってりゃ大丈夫、と言う劇団員がいる。
それもそうだ、とご飯を炊いてみた。
脚本を書いている。見沢さんの本だ。けれども、ぼくの本だ。
そういえば、「天皇ごっこ〜調律の帝国〜」を書いているときに宣言した。
『脚本を書くことはやめた。ぼくは演劇を書く』と。
その通りになった。
そして、もう一つの宣言。
『この作品は、「調律の帝国」解釈の、後の100年スタンダードになる』と。
その通りになるはずだ。
罪と、罰、か。
それにしてもだ、その二語をここまで書き続け、ここまで創り続け、
書けば書くほど書けない事に気付き、
創れば創るほど創れない事に気づき、
何かを知れば知るほど無知を知り、罪と、罰、か。
ご飯が炊けていく音が聞こえる。
その音を聴きながら、理解者、と声に出してみた。
形而上と形而下を躊躇いなく行き来する、
そんな笑顔で、たった一言、「そうだね」と発する、そんな理解者がほしい、と。
読むか、書くか、死ぬか、
ぼんやりとここに居て、ご飯が炊けた。
演劇でしか表現できない、
舞台でしか表現できない、
人間にしか表現できない、
それが劇団再生だ。ならば、これから食べるご飯のおかずは、劇団再生以外にはないじゃないか。
それ以外にないのだから、そうする。
劇団再生に醤油をかけて、炊き立てのご飯を食べる。
「罪」とは何かを考え、「罰」を受け、
「罰」を受けながら、「罪」を犯し続ける。
読むか、書くか、死ぬか、
信じることに 理由はいらない
信じることで よみがえるいのち
信じることは 生きるみなもと
谷川俊太郎は、いくつの時に、この詩を書いたのだろう。
信じることは、ゆっくりとこの体の中で育つ。
植物みたいにゆっくりと育つ。
時間が、欲しい。そう呟くと、
今まさに食べられようとしている劇団再生が、「歌え!」と大声を出した。