坂口安吾と千賀ゆう子。言葉に何かを信じ、或は言葉を不信し。

2009年10月25日 03:23:08

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先日、千賀ゆう子さんの舞台公演を見に行ってきた。

第七回有鄰館演劇祭 蔵芝居09 参加作品、
『あちらこちら命がけ-安吾の言葉と二人の女と楽士による即興演劇-』

坂口安吾だ。
何日も前から楽しみにしていた。
坂口安吾。ぼくの好きな作家だ。
好きでたくさんの作品を読んだ。好きで何度も読んだ。
そして、安吾の「白痴」をモチーフに「予言者」という脚本を書いたこともある。

有鄰館演劇祭というのを、ぼくは知らなかった。
だから、それも楽しみだった。

会場は、群馬県桐生市。有鄰館。

のんびり行くかと電車を乗り継いでいった。
新桐生駅を降り、ぶらぶらと歩いた。渡良瀬川を渡り、商店街を歩いた。
桐生は「うどん」の街、らしい。うどんを食べた。
晴天快晴、桐生をぶらぶらと歩いて、会場を目指した。

会場が近付くにつれ、(あれ?)と思い始めた。
いつか見たことがある風景だな、と。来たことがあったかな?
会場を見つけ、時間を見るとまだ早い。もう少し足を伸ばすか、とまたぶらぶら歩いた。

来たことがあった。
唐突に思い出した。
今から10年近く前だ。

ぶらぶら歩いて、目の前に現れたのは、「坂口安吾千日往還の碑」という石碑。
そうだ、確かにここに来た。10年近く前だ。
その時は、車で移動し、渡良瀬川側からではなく、山側からここに来たんだ。

-安吾の言葉と二人の女と楽士による即興演劇-
という副題と、桐生市という場所。それで、どうして思い出さなかったのだろう。
安吾が好きで、ここを見に来たことがあったんだ。
安吾の人生を終えた地。

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なんとも言えない会場だった。
江戸時代から昭和にかけて、酒・味噌・醤油を醸造・保管していた11棟の蔵。
それらが、桐生市指定重要文化財となり、
舞台・展示・コンサート・イベントなどに利用されている。

千賀さんの公演は、酒蔵だった。
会場に入ると、空気が流れているのか、空気が時間の狭間に佇んでいるのか、判断がつかない。
客席真ん中に陣取り、開演を待った。

公演は、言葉だった。二人の演者。5弦ウッドベースの生演奏。
安吾の言葉群。そして、即興演劇。

耳がしびれる。
目がしびれる。

耳を閉じたくなった。目を閉じたくなった。
そして、そんな衝動と同時に耳を閉じる恐怖、目を閉じる恐怖を感じた。
安吾は、たくさんの言葉を書き残した。
それらをぼくは読んできた。今もたくさんの人が読んでいるだろう。
読み継がれ、安吾は言葉になった。

けれども、

と、会場で安吾を思う。
たくさんの言葉を書き残した坂口安吾は、けれども言葉を嫌悪していたのではないか。
同時に、千賀ゆう子さんも、言葉を嫌悪し、完全な信頼の上に、不信しているのではないか。

そう思った。思って、考えていると、公演が終わった。
会場に残された言葉の残骸。佇む空気がその存在を増し、扉が開かれたにも関わらず、風は吹かず、
言葉の残滓は、静かに地に沈んでいった。

終演後、「千賀さん、言葉なんか嫌いでしょう」と話そうとした。
話そうとしたけれども、ぼくの思考がまとまっていない。
こんな半端な思考実験では、論破されるに決まっている。
安吾の話をした。
安吾が大好き、という話をした。

千賀さんとの別れ際にはいつも、
「高木さん、ゆっくり話しましょうね」と。
いつもだ。いつもそう言って別れる。「千賀さん、ゆっくり話しましょう」と。

安吾の話を演劇の話を、思想の話を、無駄話を、たくさん話しましょう、と。

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