見沢さんの遺した服

2009年11月25日 00:03:59

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見沢知廉という人生が失われて、4年が過ぎた。
2005年9月7日。その日のことをはっきりと覚えている。
どこで何をしていたか。天気はどうだったか。周りには誰がいたか。
「見沢知廉死す」の一報は、メールで届いた。
今でも大変お世話になっている友人からだ。
あの日から4年が過ぎた。

一報をくれた友人と後日、彼の会社で話をした。
「いつか、見沢さんの作品を書きたい。舞台化したい」そんな話をした。
見沢さんの死の直前に、ぼくは、見沢さんに手紙を書いた。
それを投函していた。
その手紙に書いた文面もはっきりと覚えている。

今でも手紙のやり取りをしている。
見沢さんが死んで4年。5本の「原作・見沢知廉・天皇ごっこ」を上演してきた。
上演するたびに、見沢さんから手紙が届く。
その手紙を読んで、(よし、また次を書くか)と、思う。
そう思い続けて、書いてきた。

見沢さんの思い描いた世界が、今、はっきりとわかる。
手に取るように、その世界がわかる。見える。はっきりと見える。
それは、仮説や想像ではなく、確信的に理解している。

ぼくの見沢理解は、間違いない。
断言できる。

じゃあ、説明してみろ、と言われても、言葉にするのはなかなか難しい。
難しいから、「演劇」という表現方法でそれを書いている。
視覚、聴覚、触覚、それらを総動員して読んでもらいたいと思いながら、
ぼくの見沢知廉確信的理解を書いている。

見沢さんの遺したたくさんのものが劇団再生に届く。
届いたものは、データベースに整理されていく。
整理され、劇団員それぞれの自宅に分散されて保管されている。
たくさんの衣類もそうだ。
舞台衣装でも使った。ぼくが普段着にしているものもある。

見沢さんが遺したたくさんのものは、
静かに、理解を待っている。