朝はまだかと夢を見る
2010年4月27日 17:51:24
ぼくは、単体でこそ動作するマシンではなかったか。
単体でこそその能力を最大に発揮するマシンではなかったか。
単体でこそクリアに作動するように設計されたマシンではなかったか。
ネットワークに依存せず、
外部機器に処理を任せず、
全てのデータをこの単体に保管保存し、
この肉体の仕様書さえもその本体に有し、
各種バックアップもバックアップという価値と意味と効果を無視しここに保管し、
ぼくは単体でこそ最大限に動作するマシンではなかったか。
ぼくを構成する各種パーツは確かに古い。何十年も前の部品だ。
172cm59kgという柔軟さを失いつつある筐体も
1700cm3程のCPU・HDD・メモリを兼備する主要装置も
電源もクーリングシステムも各種出力装置も
全てを連結する内部のコードも何十年も前の古いパーツだ。
ロングライフ設計が為されているとはいえ、
あちこちに不具合も出てくる。
時代に即さない方法を未だ堅持している。
その時々に応じて、便利なソフトをインストールしてみたり、
不必要なアプリをアンインストールしたり、
定期的にデフラグしたり、
重複したファイルを丁寧に削除したり、
肥大化していくレジストリを整理したり修復したり、
スタートアップを簡易化してみたり、
全ての痕跡を除去してみたり、
スパイが居ないかとスキャンしてみたり、
そんなことをしてみたりして、なんとか機能を維持している。
HDDの残容量はどのくらいだろうか、と常に注意をし、
そろそろまたメモリを増設しておこうか、と検討してみたり、
お金もかかるし、時間もとられる。
どんなにお金をかけても手間をかけても、
ぼくは、単体でこそその能力を最大に発揮する一台にして孤立するマシンだ。
真夜中、ベッドでのたうちまわり、
ただそのことだけを確認し続ける。(俺は故に単体だ。単体は故に俺だ)
いつの間にか、ぼくにいろんなものが接続される。
それは、多分、その時々にぼくが自ら望んだことなんだろう。
自ら望み社会を接続し、
自ら望み世間を接続し、
自ら望み友人知人を接続し、
自ら望み時間を接続し、過去を接続し続け、未来を接続しようとし、
誰だか知らないどうでもいい言葉を接続したがり、
ぼくにとって無意味な人生を接続したがり、無価値な言葉を接続したがり、
不必要な観念や概念や感情を接続したがり、優しさや強さを接続したがり、
なんだ、この煩雑なマシンは!
のたうちまわりながら、マシンを確認する。
あんなにクリアだった姿形がでこぼこと醜く膨れ上がり、
これじゃまっすぐに歩けるはずがない。ノイズだらけじゃないか。
うるさい! と舌打ちしてみれば、そのノイズは自分が発していた。
筐体のいろんなところから、
どこに繋がっているのかわからないケーブルがだらだらと延び、
何をするものだか忘れてしまった不恰好な装置が横たわり、
機能不全に陥っていることが確かな機器を引き摺り、
これじゃ、まっすぐに歩くことなんかできるはずがない。
ノイズも出るはずだ。
ぼくは、基本機能こそをその設計理念としたスタンドアロンマシンではなかったか。
ベッドの上で怒りに似た感情のままにあれやこれやを引き抜いていく。
引き千切り蹴落としていく。壁に投げつけていく。
高層階の窓から投げ捨てていく。
薬品臭い息を吐きながら、汗をかきながら、ぼくからそれらを引き抜いていく。
ぼくに帰ろう。
多くを引き千切ったところで朝はまだか。
クーリングシステムが効率的に動作していない。
冷却に必要な何かを捨ててしまったのか。CPUの熱が上昇を続けている。
いいだろう。それがこのマシンの本来だ。
発火寸前まで上昇する熱こそがこのマシンのそもそもだ。
それを、最新の機器で冷やそうとしてきたことが間違いだ。
CPUが熱暴走を起こし、処理不全を起こし、ハングアップしてこそ、このマシンだ。
最新の冷却システムは捨ててしまったようだ。
いずれ自己発火するだろう。
それを怖れてどうする。設計段階でそれは想定されていたはずだ。
また、一つの決断をしようとしている。
上昇を続けるCPUがそんな処理結果を唐突に出してきた。
処理過程を確認してはいない。
ログを見れば、どんな計算がされて、その結論が出たかはわかるだろうが、
ぼくは、このマシンの処理に最大の信頼を置いている。
出された計算結果を疑う根拠はどこにもない。
(また、一つの決断をしようとしている)か。なるほど。
ぼくは単体で動作する。
単体で入出力を制御し、単体で計算を行い、単体で処理を行う。
朝はまだか、と不連続の夢を見、
朝はまだか、と狭間の夢を見、
また、一つの決断をしようとしている。