雑感、さらば演劇
2010年7月1日 17:57:09
肉体の死は大した問題ではない。
そりゃそうだ。肉体の滅びなどが価値の一つであってたまるか。
価値は人それぞれ。なるほど。そりゃそうかもしれない。
けれども、様々な価値を結晶化していき、純度を高めていけば分かるはずじゃないか。
本ばかりを読んでいる。七月か。一年を一つの区切りだと仮定すると、
その半分が終ったわけだ。六月末日現在に読了した本は、246冊。
ノルマはクリアしてきている。頑張れば、500冊も可能だろう。
ただそれだけだとしてもそれだけの本は読むということだ。
そこに価値の香りを感じずともそれだけの本を読み、読むだろう、ということだ。
言葉抱きしめ眠りたし ただ手を伸ばす七月の空
口をつく歌を詠む。南向きの窓を開け、風を入れる。コトバはいくつも卵を産み、
夜に甘えてきたり、寂しがったり。ぼくはそっと南のベランダに出る。
煙草に火をつけ、ずっと南を見据えてみたり、八階のベランダ。
「ぼくはいつか飛ぶのです。ここよりも高い場所がきっとある」と呟いてみたり、
ずっと南に手を伸ばしてみたり、上手にできるかな、と鳥の羽ばたきの真似をしてみた。
ぼくの下手な羽ばたきにコトバが苦笑した。
信頼する人には、ぼくと同じ本を読んで欲しいと思う。
そこに何がしかの感化というものがあれば、それを信じて欲しいと思う。
銃置きて南の窓開けジャンケンす 拳突き出しグーだと笑う
感化の感情を抱きながら、日々の生活にそれをやりすごす人をぼくは軽蔑する。
自身の能動的衝動を形而下のことごとを理由に後回しにする人にぼくは失望する。
信頼するから故だ。当然だ。ぼくはあっさりと軽蔑と失望を、する。
見限り、見下げ果て、見下すだろう。
そこに例えその個人における絶対的な価値があるとしてもだ。
絶対的な価値があるのならば、何故? と反問し、徹底的に論破するだろう。
こういう抽象的な書法は、概して一般論に堕するけれども、
今論じているのは、完全なる対象だ。さらば演劇。ぼく個人の一般論であるとしても。
ぼくはぼくの七月の空この銃で いつかいつかいつか君を撃つ
行くところがあるんだ。そこに行こうと決めたんだ。
ぼくは、そこに、ぼくが手に入れたぼくだけの言葉を連れて行く。
そりゃそうだ。それがぼくの所有する唯一なんだから。
ぼくは、ぼくだけの言葉の手をひき、そこに向かうだろう。そこに行くだろう。
ぼくの言葉が泣こうが喚こうが知ったこっちゃない。
言葉、お前は、ぼくだ。言葉、ぼくは、お前だ。お前は、ぼくの、言葉だ。
そして、ぼくは、お前の、言葉だ。
さあ、行くか。七月の空。ジャンケンだ。何を出すかは知っている。
ぼくは、拳を握り、グー。
発熱の夜にコトバを引き寄せて 胸に耳あて鼓動に安堵す
行き先は決まっている。
もう二度と、二度と、戻ることのできない場所ではあるけど、
ぼくは、ぼくだけの言葉を手に入れたあの日に、そこに行こうと決めたんだ。
言葉、お前を連れて行く。
言葉、お前だけを連れて行く。