また一つ
2010年8月5日 21:12:23
ロベスピエールは、
一人の王と数千人のフランス人を殺した。
たったそれだけだ。
カントは、神を殺した。
だが、ただそれだけのことだ。
また一つ罪を重ねた。
だが、ただそれだけのことだ。
そも、罪とは何か。
そして、ぼくはその罪に対応する罰をこれから甘んじ受けるのだろう。
ただ、それだけのことだとしても、
ただ、それが事実であるとしても。
そういえば、罪と罰に20年もとらわれてきた。
罪と罰ということについて、考え続けてきた。
脚本に書き続けてきた。
このくそったれの体に体現してきた。
いつしか、罪と罰、その思考の果てにたどり着いていたようだ。
それ以上の止揚はない、と。
罪の答えをいつの間にか知っていた。
罰の答えをいつの間にか知っていた。
それに気づいたのは、つい先日だ。
なんだ、そんなことか。
ドストエフスキーが、どの「場所」で『罪と罰』を書いたのか、
まざまざと理解した。
ドストエフスキーが、どの「高さ」で『罪と罰』を書いたのか、
ありありと理解した。
なんだ、かわいいじゃないか、ドストエフスキー。
とはいえ、ドストエフスキーに関しては、その入口。
次はどうしてやるかな、
『悪霊』をやるか、『カラマーゾフの兄弟』をやっつけるか、
再度『白痴』に挑戦するか、或いは『貧しき人々』『賭博者』か、
と、考えるも、
『罪と罰』を理解したんだ。
次からはそんなに難しくはないだろう。
それはそうと、罪と罰。
ふっ、と、それを知っていることに、気付いた。
目が覚める、とは、こんな感じか。
そして、罪と罰を知っていることに気付いた次の瞬間には、
その次の問いが用意されていた。
そうか、罪と罰の次には、こんな道があったのか。
くそっ、なかなかやるじゃないか、「思想」
そして、その次の問いは、人間誰にもまとわりつくのか。
もし、そうだとするならば、
街ですれ違う見ず知らずの他人の誰も彼もが、
そんな問いを抱えて生きているというのか。
みんな、凄いな。
また一つ、罪を重ねた。