スタッフが稽古を見詰める

2010年8月12日 22:31:16

写真

稽古場から自宅まで、バイクで2分。
国道254号線を渡る信号に今日もつかまる。
青になるのを待って、メメント・モリと呟く。

帰宅すると、コトバが畳の上を歩いていた。

目が合うと、動きを止めた。
ぼくとコトバは目を合わせたまま、止まってしまう。
「どうした?」と聞くと、知らん顔して、歩き出した。

てってってってっ、と小さな音を立てて、畳の上を歩くコトバ。
何がしたいのか、
何を目指しているのか、
本能か、
或いは餌を探しているのか、
それともただのお散歩か、
なんだかわからないけど、てってってってっ、と歩いている。

「どこ行くの?」と聞いてみる。

稽古場では、10日後に迫った企画公演の稽古。
今日は、照明の若林さんが来られ、通しを見られた。
稽古場の舞台前に居並ぶスタッフの面々。

照明の若林恒美さん、
音響の大和二矢さん、
舞台監督のころすけさん、
映像の森本薫さん、
制作のゆこちゃん、

スタッフの前で繰り広げられる破廉恥なアジテーション。

コトバさん、コトバさん、ちょっとちょっと、と。
コトバの奴が下にいると気を使う。
踏みつけてしまいそうで怖い。
フクロウなら飛べ! 鳥なら飛んでみろ! と喝をいれる。

てってってってっ、と畳の上を歩き回るコトバ。
一体何がしたいんだ。
どこに行きたいんだ。
あっちをのぞき、こっちをのぞき、ぼくを見上げる。

稽古場からの2分間は、いつもぼくを道の上にいさせてくれる。
どこにでも行ける道の上に、ぼくはいる。
ぼくはいつも道の上。
どこに行くのもぼくの勝手だ。ぼくの自由だ。
どこにでも行ける、どこにでも行ける。
ぼくの稽古場からの2分間は、どこにでも行ける道だ。

今日の稽古場でスタッフは、何を見たか。

スタッフの仕事は、部分だ。全体を構成するのは常に、
常に、前方で前方を目指す無限の組み合わせと無限の連続性を持った一枚の画だ。
ぼくは、前方で行われる一つの時間が、果たして時間かどうか、
そればかりを、いつも観ている。
孤立を怖れるな、
孤独を怖れるな、
前方を怖れるな、
そして、後方を怖れるな、

大和さんが音楽を流す、だが、真の旋律は音楽の中にはない。
劇団再生の音楽、その主旋律は常に言葉だ。俳優の音声だ。
若林さんが照明を明滅する、だが、真の闇と光は流れる電気には作れない。
劇団再生の照明、その闇は常に肉体だ。俳優の手足だ。

帰宅して、畳を歩くコトバを眺める。
コトバと言葉を交わしながら、本当のことを話す。
誰にも語ったことのない決意と宣言をコトバに話す。

コトバさん、コトバさん、仕事をするか。