劇団再生の稽古場

2010年9月1日 22:11:52

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先日、鶴見直斗が誕生日を迎えた。
そういえば年齢を聞かなかった。いくつになったのだろう。
いくつになったの? と聞いて、聞いたところできっとまた忘れてしまうだろう。
これまでに多分、年齢は聞いたことがあるはずだ。
直斗か。どのくらいの付き合いになるんだろう。
5年か、6年か、きっとそのくらいだろう。
アプラオスという劇団の時だ。気がつけば、直斗が、稽古場にいた。
稽古場で迎えた直斗の誕生日。
プレゼントの選択は、田中惠子。500円という予算で彼女が選んだのは、しゃもじ。

どうやら直斗は自炊をするらしい。
「立つしゃもじ」だ。いいじゃないか。稽古場に笑顔がこぼれた。

劇団再生の稽古場。
いろんなことがあり、いろんな時間が流れる稽古場。
板橋区内数ヶ所の会場をお金を払い借りている。
専用の稽古場が欲しい、そう思うこともある。
あるけれども、今のままでも充分だ、と思い直す。
どんな場所でも稽古はできる。そうでなければそれは稽古じゃない。
稽古を決定するのは、当然だが、場所じゃない。稽古を決定するのは、そこにある時間のみだ。

劇団再生の稽古場。
森本薫氏は、こうして席に着き劇団再生を支えてくれる。
その計り知れない能力を惜しげもなく劇団再生に注いでくれる。
彼とは今、大きなプロジェクトを転がそうとしている。
無謀な挑戦だと笑われるかもしれない。失笑されるかもしれない。
そんなドン・キホーテ的プロジェクト。
なるほど、そうかもしれない。けれども、まあ、やってみようじゃないか、と、
森本薫氏が協力をしてくれる。

公演と公演の狭間の時期だ。
公演の為の稽古に入ると週に4日の稽古になるけれど、今の時期は週2回。
休まず止まらず倦まずに週2回、夕方からの稽古。
劇団員は仕事場から稽古場にはいってくる。
その彼らの生活はいろいろだろう。その彼らの人生はいろいろだろう。
その彼らの価値もいろいろだろう。誰も余裕綽綽でここに居やしない。
生活、価値、人生、それを彼らがどう考えているか、そんなことは知らない。

それらへの思考は、各々の芝居に現れてくるもんだ。
稽古場で、それが見える。丸見えだ。それらへの思考の変化も丸分かり。
ぼくはそれを、ただ、見る。見ることしかできない。
そりゃそうだ。生活や価値や人生を変えることなんかできやしない。
知ったことか、ここは劇団再生の稽古場だ。

先日、公演前のある日、保険屋オガ君がやってきた。
公演期間中の保険関係の一切をやってくれる。
おまけにぼく自身のあれやこれやの保険関係も全部このオガ君だ。
いつもニコニコとやってくる。
大きな体でやってくる。
お菓子と飲み物を抱えてやってくる。

劇団再生の稽古場。
いろんな人がいろんな時間を抱えてやってくる。
いろんな時間を肯定して、やってくる。