照明家若林恒美さんが闇を創る

2010年11月2日 23:10:54

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闇は光でしか創れない。
例えそれが真の闇であっても、光をもってしか創ることはできない。
その不自由さが人間の優しでもあり、寂しさでもあるわけだが、

劇団再生が生まれてからずっと若林さんに光を預けてきた。
それは、例えば演劇という2時間に区切られた時間の「作品」であるとしても、
ぼくの片腕以上の時間を「預けて」きたのだ。

その「預ける」という行為は、信用や信頼などという「言葉」では計ることができない
真に純化された真摯な「行為」そのものであり、
一旦その「行為」が発現するやぼくはその最中における間隙に入り込むことができない。

当然だろう。その間隙に存在するのは、計ることができない「存在」そのものであり、
「行為」という存在の存在所以を目の当たりにするしかないのだ。
若林さんは、劇団再生の光を預かり、当為としてそれを「預かり」、「行為」する。

誰も過去の年月を推し量りそこに価値を見出したりはしない。
常に、その瞬間しか存在が許されない。一切の存在を証明するのは、光だ。
もっと光を、と叫んで死んだ詩人がいた。もっと闇を、と叫んで死んだ詩人がいた。

若林さんは、「行為」そのものを持って、過去の時間を反肯定する。
明日を恐れない光をもって、闇を創り上げる。
ぼくは、それを見る。