慌ただしい一日を過ごし、真夜中に帰宅して、脚本を読んだ
2011年9月6日 02:13:30
あちこちに飛び回り、夕方ネイキッドロフトに腰を下ろした。
一息ついて始まったイベント。
鈴木邦男さん、大浦信行監督、山平重樹さん、佐川一政さん。
なんとも逸脱したゲストの方と見沢知廉を語る。
数時間のイベントを終えて、明らかな脳疲労。
目の奥の鈍痛。異常な首のきしみ。粘度の高い疲労。
久しぶりにこんなに疲労した。
体の皮膚表面とそれに接する外気の境目が不分明になる。
どこまでが自分の体でどこからが外界なのか。
そこがぼんやりと曖昧になる。一日でも休めればな、と思うも、
別にそれを望んでいるわけじゃないな、と思い直す。
ロフトを出て、地下鉄の駅に向かう。
その駅には二路線が乗り入れている。
別の路線の電車に乗ってしまう。
次の駅に停車して気付いた。
知るか! と舌打ちして乗り続ける。
真夜中に自宅の最寄り駅に辿り着く。
地下鉄の駅から出ると土砂降り。
知るか! と舌打ちしてバイクにまたがった。
ずぶ濡れで帰宅するとコトバが頭の上に飛び乗って来た。
濡れた服を脱ぎ棄て、裸になる。寒い、そんな感じがしたけれど、
その感覚がどうも信じられない。
乾いた下着をつけると、感動的に気持ちよかった。
パソコンを立ち上げ、あちこちに今日のお礼や報告などをする。
今週の演劇に問い合わせをいただいている方にメールをする。
劇場入り前日の明日。
もしかしたら一番忙しい日かもしれない。
目覚ましをセットする。いつもより早い時間の6時にセット。
コーヒーを淹れて、脚本を広げる。
頭から読んでいく。ぼくが書いた脚本だ。
愛情を注ぎこんだ脚本。愛情以外のいろんなものを注ぎ込んだ脚本。
こうも毎日読んでいると、自分が書こうとしたことの本当が見える。
上演される舞台で、俳優の肉体を通して語られる言葉以外の言葉。
台詞以外に書き込んだ、註釈と欄外註。
その註釈の意味にあらためて気が付く。
なるほど、ぼくが書こうとしたのは、世界の註釈なんだなと思う。
読み終えた。新たな感動と共に読み終えた。
この脚本をこうして真夜中に一人読むことも、あと数日。
時計は、3時。いい時間じゃないか。外は雨。
目の奥が痛い。明日はあちこち。最後の稽古。この脚本もあと数日。
自同律の快感。虚体と非在。
さあ、休むか。疲労しているのだろうけれども、実感として、
そんなに疲れている気がしない。多分、錯覚だ。
さあ、休むか。二時間は眠れる。きっと起きられるだろう。
今日のイベントで着想した面白い仮説を考えていたい、と思うが、
あちこちの引き出しから論拠を引っ張り出すのに数時間はかかるだろう。
ぼちぼちと考えるか。
今日は休もう。外は雨。起きるころにはきっと雨も上がる。
コトバをケージに戻した。
ケージの中で、「ほーほー」と頼りない声をあげている。
口をついた。
俺に是非を説くな 激しき雪が好き