次の舞台は3月。出演者募集。
2011年11月6日 21:09:25
11月に入り、次の舞台の準備を進めている。
9月の公演を終えて、
体の調子が悪いだの、
残務処理で忙しいだの、
読書代行が増えてきただの、
イベントがどうの、
映画がどうの、
原稿がどうの、と
なんだかんだと理由をつけて、だらだらと二か月日を過ごし、
その二か月の間に見えている画は本当だろうか、と試してきた。
創作的な実務に手をかけず、
創作的な思想を自ら放棄してきた二か月。
着想的に見えた画が
何もしない無為の二か月を生き延びることができるだろうか、と試してきた。
次の舞台は、来年3月。
少しずつ体を作り始めている。
制作実務に取り掛かっている。劇場との契約も終えた。
脚本のたたき台もここにある。
次の舞台は、来年3月。
『読書劇』
朗読劇、ではない。『読書劇』だ。
あと1カ月もすれば、HPもできるだろう。脚本も書きあがるだろう。
出演者も決まるだろう。舞台美術もひけるだろう。
数か月はかかりそうな舞台美術の制作にも取り掛かるだろう。
だらだらとなんだかんだと理由をつけて創作から離れていた2か月。
見えていた画は、消えることは、なかった。
かといって、増幅されることもなく、見えた時の見えたまま、画は、ある。
最初から完全な「画」だった。
最初から完全な「読書」だった。
今からそれを具体象として、所謂「創る」のだが、
それは、(身も蓋もないが)一種のぼくの残滓だ。当然そうなる。
この舞台に
これから関わることになるだろう多くの方々には申し訳なくも思うが、
その通りなのだ。脚本を書くかたわら、4年間、演出というものをやってみて、
なるほど、「演出」ってのは、そんなもんかと、ぼくの「演出論」を
ぼくの中にぶち上げた。世の名だたる演出家にしてみれば噴飯ものだろう。
論もくそもないただの戯言だと、片付けられるようなものだろうが、
それでもぼくの「演出論」。自信満々の「演出論」。
噴飯ものの名だたる演出家を対自させ、矛盾を現出せしめる。
とまあ、書くだけは書いておく。次の舞台は、3月。
「盗まれた革命」
なんのこっちゃと思いもするが、そうとしか言えないんだ。
日本思想を読み込み、世界思想を読み込み、経済史を追い、
革命論と言う革命論を読み込み、ようやく見つけた言葉。
「盗まれた革命」
次の舞台は、3月。出演者を募集している。読書劇だ。
ぼくの読書劇だ。