安岡正篤先生の命日

2011年12月13日 22:52:21

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今年も佐渡を訪れた。夏だ。北一輝の墓参り。
深夜バスで新潟まで行き、新潟からは、フェリー。
新潟では、25年ぶりの友人に会ったりもした。

写真は、佐渡若宮社にある「北一輝・北玲吉」の慰霊記念碑。
この慰霊碑の裏には、朗々たる一文が石に刻まれている。
ずっと北一輝を追いかけている。
鈴木邦男さんの胸を借り、対談をさせて頂いたりもした。

北一輝への一文は、安岡正篤先生が書かれている。
この「高木ごっこ」で安岡正篤先生のことを書いたことは、ない。
2000回近い記事を全部が全部覚えているわけではないが、多分書いたことは、ない。

安岡正篤。昭和最大の黒幕、とも言われた人だ。
黒幕、というものが、一体なんなのか、ということはさておき、
政界・財界・思想界に大きな影響力を持ったひとりとは言えるだろう。

安岡正篤。これまでここに書いたことはないけれども、実は、
大きな興味とともに同調的な何かを感じていた。
何かを書けるほどその感情が熟成はしていない。

佐渡若宮社、北一輝慰霊碑に刻まれた安岡正篤の一文。

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朗々たる名文。切々たる哀切。

安岡正篤という大人物。現在の市井の評価がどうなのかは知らない。
ただ、どうもぼくのじいちゃんに似ている気がしてしょうがない。
顔が似ているのか、姿が似ているのか。多分、

例えば写真を並べて見比べれば、それほどのこともないだろう。
それどころか、「似ていない」と判断するだろう。
でも、どこがどうと言えないけれども、

なんだか似ている気がする。
「なんだか」「気がする」となんとも心もとないが、そんな感じだ。
じいちゃんは安岡正篤先生よりもだいぶ年下のはずだ。
でも、激動のあの時代を同時に生きていた。
だから似ている、と、そんな短絡的な判断をしているのではない。

んー、なんか知らんが、似てる、と感じるんだよなあ・・・

じいちゃんは死んだ。100歳まで生きると豪語していたが、
果せず、死んだ。じいちゃんとは仲良しだった。誕生日には毎年手紙をくれた。

今日は、安岡正篤先生の命日。