一番大切なものは何か
2012年1月14日 21:56:50
誰に問う訳ではない。
一体何が一番大切なんだ。
それを失ったら、「私」を失う、という「何か」
仕事
女
男
親
子供
金
趣味
命
あんたにもなんかあるだろう。
そりゃあ、命だ、という人もたくさんいる。けれども、命よりも、と考える人もいる。
いや、「考える」じゃ、だめなんだ。「思い」、真にそうであるべきもの。それは何か。
遊ぶこと
食べること
やること
作ること
生きていること
死んではいないこと
そんな「こと」でもあるかもしれない。きっと誰にだってなんかあるだろう。
日常の優先順位がそれによって決定されるような、一番大切な「何か」
音楽
演劇
映画
絵
本
そんな事事もあるだろう。きっと何かあるはずだ。
もちろん、なければないでそれはそれだろうと思う。「全部」と無邪気に答える人もいるだろう。
「大切なもの」イコール「求めるもの」と、等価されることもあるかもしれない。
あるいは、「大切なもの」イコール「棄て去るもの」とする生活もあるだろう。
それはそれとして、今日、中途半端に、しかしなかなか合理的に時間が空いたので舞台を観に行った。
これまでの演劇人生でたくさんのことを教わり、お世話になって来た方の出演する舞台だ。
昨年、案内をいただきながら、なかなか予定を立てられずにいた。
そして今日、観劇を予定していなかったけれど、まったくの成り行きで行けることになった。
その方にメールした。(土曜日だし満席かな)と思いながら。それならそれで仕方ないと思った。
満席に近いけど、席は用意できるとの事。久しぶりに会いますね、と返信が来た。劇場に向かった。
満席だった。いい空気の客席だった。これから始まる舞台をみんなが楽しみにしている空気だ。
今日の休日をこの舞台で楽しみたいという観客の日常の優しさが客席を包んでいる。
そんな客席が出来上がるのは、実は珍しいことだ。開演時間に始まらなかったので、客席を立った。
隣の人に「すみません」と通路をあけてもらい、
受付で「開演時間に始まらなかったので帰ります」と告げ、外に出た。
少しして、受付にはいなかった人が追いかけてきて、お金を返しますと言った。
返金はもちろん断った。おだやかに断った。知り合いによろしくお伝えください、と。
ドトールで読書をした。出演していた演劇の先輩にぼくの「よろしく」は、正確には伝わらなかったようだ。
そんなこともあり、いや、まあ、別に、何だっていいんだけど、今日、喧嘩をした。いや、喧嘩じゃないな。
議論、論争。いや、違うか。議論や論争には、そこに「正義」が必ずある。今日は、なかった。
ぼくは、徹底敵に合理的な言葉を駆使した。完全な糾弾を行った。言葉を休めなかった。
相手の感情と理屈の崩壊を目の当たりにしながら、手を休めず徹底的に追求した。
「正論だからといって、正論を振りかざすことは、正しいことではない」、「図書館戦争」だったか。
そんなことはわかっている。そんなことをしやしない。「正論」が成立するには、「虚論」が必要だ。
「虚論」の成立に必要な要件は何か。そんな当たり前をここで振りかざす非礼はしない。
言葉が、かわいそうだ。気息奄々現代演劇。なんだっていいさ。ぼくは、ぼくで決めたこと。
大切なものや、大切なこと。求めるものや、棄て去るもの。何もかも、ぼくが決めたこと。
そのことがきっと、どこかで誰かに誰かでどこかに迷惑をかけたり、不快な思いをさせてもいるだろう。
それを、仕方ないこと、と投げはしない。だから、言ってほしい。迷惑です、と。不快です、と。
それにしても、どうしていろいろな「考え方」が存在するのだろうか。
言葉の言葉による定義の矛盾と不可能性を考えていると、そんなことも考えざるを得ない。
毎日いろんなことがあって、毎日いろんな人がいて、そこに「在る」のは、一体なんだろうか。
一つの出来事におけるぼくとの関係は一体何だろうか。
ぼくとは一切関係がない出来事という現象は、そも在りうるのだろうか。
さあ、映画でも観ようか。
こんな日は、あの映画に限る。「MATRIX」だ。今日はその中で、「REVOLUTIONS」