たくさんの人に会い、お話を伺い、時間を超える

2013年1月23日 00:30:24

そういえば、この高木ごっこに
参加したイベントや、対談した方の事や、お会いした先輩方のことなどを書かなくなった。
書かないことに別段意味はない。
そんな写真をあまり掲載しなくなったことにも特に意味はない。

写真を整理したり、加工したり、アップしたり、
丁寧に記事を書いたり、内容を一般化したり、とする時間がないだけだ。

それにあまり写真を撮らなくなった。
これは、実は、意識的だ。

読んで、書いて、送って、戻ってきて、読んで、直して、読んで、書いて。

たくさんの人に会い、お話を伺ってきた。
歴史の証人、という言い方もあるが、まさにその通りだ。
何十年の時を超え、あの事件が、あの出来事が、目の前で語られる興奮。

そんな話しの一方でなんともつまらない話をせねばならない時もある。
ほとんどがお金がらみの話だ。
換金性の仕事の話だ。そんな人々の話だ。貧しき人々の話だ。
つまらない。つまらない。苛立ちを超え、笑ってしまい、かわいそうになる。
それほどつまらない。そんな時間もあるし、そんな人もいる。

そんな人は、ただ、威張っている。

頭がカオスに落ち込む。どうしようもない雑文。
こんな文章をあげるようになったら、ここも終わりか? と。
もう、なんだかんだと7年も書いてきた。
たくさんの事を書いてきた。

ぼくは、ぼくの言葉をピンポイントで届けたい。
誰にでも、多くの人に、という一般化は、もう疲れた。

明日、
(もちろん今更書くまでもないが、明日というものが存在するとすれば、という条件付きで、明日と言う語を使っている)
その疲れがすっかりと取れていればいいな、とも思うのだが。

そう、やっぱり、キーワードは、一切、という一語なのですよ、君。