『暗室の窃視者』という作品は、ぼくの独り言だ。だが、その独り言は、作品として一般化される。
2013年4月7日 22:02:01
稽古場で声を出す。
脚本を読んだり、説明をしたり、指示をしたり、相談したり、
無駄話をしたり、嘘をついたり、本当のことを言ったり、と。
昨夜、帰宅したら、喉がガラガラだった。しゃべり過ぎだ! と自分に注意!
それはさておき、やっぱり稽古場は楽しいな、と肌が喜んでいた。
なんだかんだとここで偉そうなことを書いているのだが、
やっぱり稽古場は楽しいのだ。バカみたいに楽しいのだ。
そりゃしゃべりっぱなしにもなるってもんだ。
それにしても、昨夜はまいった。眠ることに大失敗だ。
脳が動き回り、はしゃぎまわり、しゃべり続け、考え続け、思い続け、
こりゃいかん、クールダウンだ! と、コナン君を観たのだが、
観ながら、全然観ずに、作品のことばかり考え続け、我慢して最後まで観たのだが、
頭は余計に動き回り、ますますいかん、こりゃ寝られんぞ、と次の策。
漫画「鬼平犯科帳」を開き、鬼平の活躍に入り込もうとする、が、
出てくるシーン出てくるシーンが、この稽古中の作品とリンクしやがる。
そうくるか! じゃあ、もう寝てやらんぞ、と体に脅しをかける。
その通りになった。
うとうとしたら、ぱっと目が覚め、舌打ちし、またぐるぐると考えながらうとうとし、
一時間で驚くほどのさっぱり感で目を覚まし、時計を見、舌打ちする。
こうなったら、眠り薬の出番だ、と思った時刻は、もう朝。
大失敗。
そうして今日も朝から動き回る。
金太郎のマスターから譲り受けたバイクにまたがり、
おお! バイクの季節だ! と楽しくなり、アクセルを開ける。
休日の朝だ。車も少ない。よし、このバイクの最高時速を試そう、と、
環八のトンネルでアクセル全開。95 をマークし、怖くなって安全運転。
一日中、何をしても作品の事が頭を離れない。
楽しくなる。ラストシーンなんか知ったことか。
ここまで書いて、ここまで創って、ラストがしょぼいなんてことがあるはずがない。
万能感。全知全能感。神の視点。想像の権化。川越街道を疾走しながら、
この先はぼくの水平線だ! その水平線をこのまま飛び越えろ!
そんな声が聞こえてきた。
そのままだ。アクセルはそのままだ。ブレーキをかけるな。
何があってもブレーキはかけるな、そんな声が聞こえる。
そういえば、10年前は、そんな声に従っていた。
年をとったんだな。その声を聞きながら、
(バカめ。騙されるか。一時の感情で突き進んで生まれるものは、
一時の時間で花開き、散っていくんだ。そのパッションを原動力として、千年の孤独を創ることが仕事じゃないか。
俺はもう、俺に騙されないんだ。)
と、赤信号の停止線できちんと止まる。左右を確認し、安全にスタート。
それはそれとして、昨夜は大失敗。
そして、困ったことに、24時間経った今も、同じなんだ。
困ったな。頭が動き続ける。今日は、何を見てやろうか。
やっぱりコナン君か。それとも、逆手をとって、「ブリキの太鼓」か。
頭が動き続け、こんな雑文も終わりが見えない。
自動書記のように指が動き続ける。思考と同じ速度で指が動く。
こりゃほんとに終わらんぞ。
この一行で終わらせる。もう終わり。ほんとに終わり。稽古が楽しい。たまらんのだ。