時間が欲しい、と問うたところで、全ての定義があいまいなまま
2015年3月12日 17:15:48
そんなテーマならこれまでずっと考え続けてきた。
何を今さら、と言ったところなのだが、それでも欲しいのだ。
ぼくだけの時間。
『ぼくにとっての日本は、一枚の日の丸の旗であった。
風にひるがえる日の丸の旗を仰ぎながらぼくは思ったものだ。
なぜ、国家には旗がありながら、
ぼく自身には旗がないのだろうか、と。
国家には「君が代」がありながら、
ぼく自身には主題歌がないのだろうか、と。』
寺山修司は、そう書いた。
なぜ世界には時間がありながら、ぼく自身にはぼくの時計がないのだろうか、と
問うてみる。
なぜ芸術には時間がありながら、ぼく自身には質量がないのだろうか、と
問うてみる。
その答えが欲しかった。自分の時間が、自分の時計が、その時計が指し示す質量が欲しかった。
時間、そして作品。
その関係。
ぼくはその関係においてのみ、作品の作品たる主張を認めるのだ。