高木ごっこ・・・223-48 『自分が今何をしているか、それをしながらも改めて言葉にして確認しなければ、そのときに何をしているのかわからなくなってしまう。』

2007年4月22日 23:04:50

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毎日を送りながら、
歪んでいる、それを感じながら、
それが何かを突き詰める時間をとることをしないから、
こんなことになるんだ、全く。
と書く端から、
その、こんなことを具体的に書くことの困難と、
歪んでいるそれを説明することの困難を次の行に
見据えながら、その困難に打ち勝つほうがいいのか、
それとも、論点をずらしながら、今、
到達しようとするある着地点への近道を探ったほうがいいのかさえ、
迷いつつ、ほら、しかし、迷いつつも、
こうやって、次の行はやってくる。
今も結論がでないまま、ほら、また次の行。

キーワードだけの毎日。
見沢知廉、劇団再生、日本、脚本、金、言葉。

それらのキーワードからしか発振しない、
次の行。

見沢知廉の人生をトレースする、
劇団再生のありようをイメージする、
日本の本姿を確認する、
脚本の2万字に恐れおののく、
必要な金額を計算し続け、
言葉でしか考えることができない、という真実と、
だが、それを否定したい自分がいるということの
もう一つの真実の間で、
ほら、また、キーワードさえも
くるくる空回り、しかし、そのキーワードからしか、
発振しない感情と生活と想念であることも、
確かで、

また、こうやって、歪み、それを、毎日。
今、指を一本立てて、つぶやく、という行為さえ、
それは、言葉であり、
それ自身が、自身の歪みであり、

しかし、わかっていても、あえて、
行動する。

指を一本立てて、
「そうだ、撃つんだ」