言葉は、本当に伝達の手段なのだろうか?稽古が終わり考える。一言の台詞が聞きたくて、映画を観る。『蒲田行進曲』【DVD】
2008年7月2日 00:43:27
完全な画を作りたい。
演劇という保存不可能な表現方法で永遠に保存できる画。
演劇は、保存できないことが魅力の一つとされている。されてきた。
ライブ、再現不可能な芸術。
それゆえの迫力と魅力。
二度と再び同じものを創ることができないという、価値。
それが、演劇だと、定義されてきた。されている。
けれども、ほんとうにそうだろうか。
と、考えている。
そう考えている毎日の中で、稽古が積み重ねられる。
今日も、稽古。
稽古場でぼくは、日本語を話し、俳優に、意思を伝える。
言葉は、本当に伝達の手段なのだろうか?
と、不意に疑問を得る。
(あっ)
なぜ疑問に思ったのかを考える。
(あっ)と思ったことを忘れずに、バイクで帰路。
稽古場の興奮と冷徹な疑問を言葉にしようと、
帰り道をはずれ、環八にバイクを乗り入れ、
時速40km、
走る。
風を感じるが、それは、風ではない。
オートバイのエンジンにより、移動する時速40kmの自分。
自分が自ら切り裂く空気の感触だ。風ではない。
保存可能な演劇と言葉が伝達の手段かどうか、
それは、何か、一言に集約されそうな予感がしているけれども、
なんだか、その一言を見つけるのがもったいない気がして、
その一言に触れるのが楽しみで、
映画を観た。
完璧な一言を聞きたくて、
映画を観た。