日本という質量・・・2
2006年7月25日 18:06:29
どうしてかな。
日本のことを考えます。
というよりも、
ここに生まれて、
ここで育ち、
ここで育てられ、
ここで生き、
ここで生かされ、
性質かもしれません。
一つの団体で、上にたつものは親。
親は、全身全霊で子を守る。
例えば、会社。
入社した時点で、社長は親。
親は、社員という子のために、命を投げ出さねばならない。
そうだ、9条を考えていたんだった。
再軍備の質量を計るんだった。
日本国憲法は、1946年11月3日に公布、
翌47年5月に施行されましたね。
この憲法案採決は、
国会において満場一致だった訳ではありません。
一部の国粋主義者と共産党議員が「反対」票を投じたわけですが、
その数名を除くほとんどの国会議員が「賛成」し、採決されたのです。
当時の世論調査をみると、
「賛成」が8割を超え、
国民にも圧倒的な支持を得た憲法だった訳です。
ところが、憲法施行からわずか9ヵ月後、
唐突に(という訳でもないのですが)
「9条を改定し、再び軍隊を持つ」
という「再軍備」論が出てきます。
1948年2月。
アメリカのフォレスタル国防長官が、
ロイヤル陸軍長官に
「日本と西ドイツの再軍備」
についての検討するよう指示し、
ロイヤル長官は、
3ヵ月後にこんな回答を提出しました。
「アメリカの人的資源の節約になるので
日本の軍隊を創設することが望ましい。
そのために、日本人が憲法を改定することが必要だ」
「アメリカの人的資源の節約」ってのは、
アメリカの本来の任務を
日本の軍隊に「肩代わり」させようってことですね。
アメリカの国益を考えば、当然に理屈です。
これこそが「再軍備」論の本質という気がします。
映像には、操り人形。
味のあるコンビです。
ほら、日本だ。
アメリカに、上手に手足を動かされ、
右を向いて、
足を上げて、
味があるどころではありません。