諷花を夜

2008年7月10日 00:32:49

写真

先日、渋谷で諷花と会った。
諷花は、歌だ。

諷花と出会ったのは、その数週間前の雨の東名高速。
心地よく尾崎豊を聞いていたのを、
劇団員市川未来が2曲で「嫌だぁ」とCDを排出し、
その代わりに車内に流れたのが、諷花。

2曲のCD。

大雨の高速道路。そこに流れた彼女の声。
その音楽は、どこか、どこか、どこかで、琴線に触れ。
80年代の日本のパンクスを喚起させ、
70年代のイギリスパンクスを髣髴させ、
そのメッセージ性は、洗練され、その言葉は、諷花の生活を思わせ、
そのサウンドは、ストレートなバンドのステージをまざまざと見せた。

諷花の歌は、映画だ。そう思った。
市川未来に、すぐに連絡を取るように言った。
諷花と舞台を創ることになるだろうと確信していた。
そして、先日、渋谷で会った。

諷花は、歌だ。

3時間に及ぶ会談。嘘偽りの無い言葉の応酬。
一つのごまかしもきかない、それはお互いに一瞬で分かったのだろう。
本気で3時間、話す。何もかも話す。
煙草を吸い、灰皿は満タン。考え続ける頭に言葉が溢れ、諷花が話す。
自分も話す。市川未来がにこにこしている。

諷花は、歌だ。

歌があること、演劇があること、それだけを話す。
あの雨の東名高速で感じた歓喜。
一緒に舞台を創っていくという予感。
それを思い出す。

諷花の目は、言葉だ。夜があった。

話し終わらない3人。
はじめて会い、ここまで投合するのも珍しい。
ここまで本気で話せるのも珍しい。

先日、諷花と会った。諷花は、歌だ。