撮影者ツカムラケイタの視線『ON&OFF』

2009年4月1日 00:20:28

【撮影・ツカムラケイタ氏】


毎回の公演でたくさんの記録を残している。
写真家の平早勉さん、映像の吉野邦彦氏、そして、ツカムラケイタさん。
3者は、それぞれの瞬間をファインダを通した彼らの眼で追い続ける。
ツカムラケイタ氏は、大学で映画制作を専門とし、カメラを回していた。
その独特の感覚は、ここにある写真に滲み出ている。


ツカムラケイタ氏の眼に映る作品には、人間がある。
いつもそう思う。
公演中の写真にも、公演を終えた後のオフショットにも、人間が記録されている。


「老後の楽しみ」のためにファインダを覗くぼくにはとても撮れない写真だ。
ツカムラケイタ氏の眼に映る人間の「何か」とは明らかに違う視点だ。


彼に映る人間とは何か。
彼の残したたくさんの写真を眺めながら、それを考える。
もちろん彼自身が人間が好きなんだろうな、と。
それは、そうだろう。そうじゃないとこんな写真が撮れる筈がない。
ファインダにうつる人間とは何か。
彼の写真にそれが如実に現れている。
一枚の四角い写真に映る人間と社会との関係。


公演を終えて、しかし熱が引かず、ひえピタはなくなり、
そうだ、何か食べたほうがいいな、と思い、あっ、稽古の時間だ、と慌てたり、
寝たり起きたりの夢うつつの狭間で、音響編集をしていないことに冷や汗をかいたり、
脚本をカットしたことを俳優に伝えないまま本番に突入したり、
誰もいない客席に一人静かに慌てたり、そんな夢を見続けて、もう真夜中じゃないか。


ツカムラケイタ氏によって記録された劇団員。
彼らは、今、何をしているだろうか。
みんな社会性を取り戻し、昨日までとは違う自身のステップを感じ、
電車に揺られたり、街に揺られたりしているだろう。


彼の写真は、そんなことを思わせる。
「みんな頑張ってるのに、お前は何をしてるんだ」
そう問われている気がする。


脚本もイメージも頭の中に膨大にある、8月、見沢知廉。
そこに向けて静かに歩みを進めていく。


ぼくたちが、見沢知廉という一人の男を記録していくように、
ツカムラケイタ氏は、ぼくたちを記録していく。
それは、まさにぼくたちと社会との関係性の記録だ。


もう真夜中だ。
ぼくたちは何をしているだろうか。
社会は何をしているだろうか。
彼の写真を前に、思う。


今回の公演を終えて、たくさんの感想を頂いた。
それは、会場でもいただいたし、メールでもいただいた。
トークに関する感想が多かった。
「言葉」と「読書」と「本」。鈴木さんとそれらを考えることの入り口に立った気がした。
鈴木さんは、ずい分先を行っているけれども、
このぼくがいるスタート地点に戻ってきて、話をされた。
追いつきたいと思った。その焦りをツカムラケイタ氏は、記録に残した。


今回の公演において残された写真は、
手元にあるだけで1200枚を越えている。
劇団員が撮ったものを含めれば、もっとたくさんだろう。
それが何を意味するのか、「老後の楽しみ」以外の意味を映し出すそれらの写真。

真夜中に、過ぎた日を思い、過ぎた、という意味を思う。