8月にむけ動き始めた劇団再生劇団員

2009年4月4日 22:44:55


本番前に客席でメイクをしたり、


昼公演と夜公演の合間に、キャベツを食べたり、から揚げを食べたり、


吉本さんに渡す封筒に、みんなで猫の絵を描いたり、


たくさんのお花頂いたり、


煙草を吸ったり、


楽屋だったり、


公演写真に見入ったり、


本番前にメールチェックをしたり、


笑顔だったり、

さあ、写真の公開もこれで終わり。
1200枚を越える写真の中から、一週間かけて掲載してきたけれども、
これでおしまい。

明日は、公演後の処理を一気に片付け、8月の企画の具体的な準備にはいる。

真夏の8月、阿佐ヶ谷、疑惑の地下室ロフトA、
劇団再生が主催する一人の男の記念展。

『見沢知廉生誕50年記念展』
もちろん演劇公演をする。『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』
そして、トークライブもある。『死後に生長する命・言葉・人生』

劇団再生の劇団員しか立つことの許されない、劇団再生の演劇。
新しい劇団員をむかえ、公演終了後中五日、稽古が継続する。
明らかなイメージ過剰の8月をどう御するか。
脚本は、まだない。あるはずがない。書き始めてもいないのだから。
頭の中にあるイメージを具現することの一番確実な脚本の姿もわかっている。
それは、

劇団員一人ひとりに違う脚本を渡すことだ。
10人の劇団員にそれぞれ別の脚本。

10本の脚本を書けばすむ。
とはいえ、現実的ではないか? いや、そう言い切れるだけの論拠を今は持たない。
一つの舞台を創るために、10本の脚本を書く。
それは、それで一つの方法のような気がする。
時間があればできるというものでもない。
時間ならいくらでも作れる。眠らなければいい。何もかもを犠牲にすればいい。
肉体のあれこれに拘泥しなければいい。社会とのケーブルを抜きに抜けばいい。

一本の舞台を創るために、10本の脚本を書く。
そのあまりに魅惑的な誘惑に抗えるだろうか。それ以外の手法を思いつけるだろうか。
単純に計算をしてみる。
一本の脚本に20000字。原稿用紙に90枚を費やすとしたら、
20万字、1000枚近い原稿用紙を埋めるのか。
1000枚か・・・
専業小説家が、毎日こつこつと書いて、一年以上もかかる枚数だ。
重ねた高さにすれば、10cmを越える分量。

2ヶ月で書けるだろうか。
それとも、その手法を凌駕する手法を思いつくだろうか。

『スーザンナ・マルガレータ・ブラント』で脚本における手法の一つのあり方に挑戦し、
『詞篇・レプリカ少女譚』において、その手法の一つの解を書いた。
もういい。2本にわたり挑戦したその手法に限界を見た。
もちろん、その手法をぼくの「特徴」とすれば、
あと数本、或いはこれからの全ての作品をその手法で書くことはできる。
そりゃできる。簡単だ。
その方法での『調律の帝国』を思う。簡単だ。簡単すぎて、何もない。
それ以上に問題なのは、見えているイメージに近づくことができない、
と書く前からわかるということ。大問題。

新しい方法がいい。という訳では全然ない。
見えているイメージをそのまま描ききることができる方法ならば、なんでもいい。
いろんな方法をぼくが知らないだけで、

20年も書いているのに、

作品を前に未だ右往左往五里霧中。情けない。

全員が違う脚本を持ち、稽古を重ねる。それが一番近い気がしている。
現実的に可能か不可能かは別として、一番近い気がしている。
2ヶ月で1000枚を書けるだろうか。
2ヶ月で劇団員全員を喰い尽くせるだろうか。
肉の一片も残さず、血の一滴も余さず、彼らを喰い尽くせるだろうか。
口の周りを血だらけにして、万年筆を握る手に血が乾くことなく、書きつなげられるだろうか。
劇団員を喰いつくし、

その肉を、その血をもって、一人の人間を創り上げる。
神に挑戦しなければならない。
そのために、一人ひとりに違う言葉が必要だ。
共通の言葉でそんなことができるはずがない。
演劇のルールを大きく逸脱しているのも知っている。
そんな方法で現場がスムースに回るとはとても思えない。
混乱必至。

けれども、

タイトルだけが同じ、10本の脚本・一つの作品。
劇団員が一人、入団した。男、北川恵亮。年齢は聞いたけど、忘れた。
ぼくは、彼の人生を何も知らない。知らないけれども、知っている。
矛盾している表現だということは、分かっている。
分かっているけれども、そうとしか書けない。
ぼくは彼の人生を何も知らないけれども、知っている。

8月まで数ヶ月。
今日、その企画のための具体的な指示を劇団員に出した。
週明けにでもみんな動き始めるだろう。
そして、動いた成果がどんどん集まってくるだろう。
2年間、

頭の中にあったこの企画。「見沢知廉生誕50年記念展」
あたためにあたため、その企画の意義を何百回も自身に問い、
一片の不安も迷いもなくなった今、劇団員全員で動き始めた。
(何でも聞いてくれ。あのこと以外なら何でも即座に答えるよ)

三回忌公演を創り上げた。
阿佐ヶ谷ロフトと縁を結んだ。生誕50年展。

10本の脚本を書くべきか。
楽しみで仕方ない。
考えつくして、劇団員全員が同じ脚本を持つかもしれない。
考えつくして、劇団員全員が違う脚本を持つかもしれない。
或いは、脚本のない舞台になるのかもしれない。