ぼくは、劇団再生

2009年8月25日 23:23:28

【撮影・平早勉】


市川未来

目的のない生活は味気なく、目的のある生活はわずらいだ。
そう言ったのは、ヘッセだったか、ころすけ君(市川未来)だったか。

ぼくは、彼ら10人の総体であり彼ら10人の一つの意思であり、
劇団再生と呼ばれる。

ぼくは、ころすけ君と出会った。
何年前だったのか、思い出せないけれども、ころすけ君と出会った。
20数年前から出会っていたのか、それとも、
まあ、いいか、そんなことは。

なあ、そうだろ。

あんまり、幸不幸をとやかく言うのは、似合わないし、どうでもいいことだ。
一生の中でももっとも不幸な時を捨ててしまうことは、
全ての楽しかった時を捨てるよりも辛く思われるものだ。
運命? 冗談じゃない。そんなもんが運命であってたまるか。

楽しいこともそうじゃないことも、味わいに味わう。
舌なめずりしてそいつらを味わいつくす。

なあ、そうだろ。
人生が生きるに値する。それが芸術のもっとも表層の内容であり、
そして、ぼくがこうして語り始めた一つの理由かもしれない。


高木尋士

すべての内容から「関係」だけを抽象するのが数学である。
そう言ったのは、ガウスだったか、高木さんだったか。

そう、ぼくは、何故か彼を高木さんと呼ぶ。
「高木」と呼び捨てにもできたものを、何故か、「高木さん」と呼ぶ。
ぼくが彼と出会ったのは、ころすけ君の紹介だ。
それもいつのことだったか。
まあ、いいか、そんなことは。

数十年も一つのことを考えている。
その問題は、数十年高木さんを悩ませている。
それをぼくは知っている。
そして、その問題のもっと簡単な解法もぼくは知っている。
知っているけれども、それを高木さんに伝えるすべをぼくは知らない。


中田祐子

忘れてしまったものこそ、ある存在を最も正しく思い出させてくれる。
そう言ったのは、誰だったか。
ゆーこちゃんだったか、或いは、他の誰かか。

ぼくの目の前に一枚の地図がある。
ゆーこちゃんが一生懸命作っている地図だ。
どんどん精緻に広大になっていく。
ゆーこちゃんは小さいのにその体以上の大きさの地図を作ろうとしている。
それを、

ぼくは、為すすべなく見る。見ているしか手がない。
助言も忠告も諫言も届きそうにない。なるほど。一人で作るつもりか。
いいだろう。
完成が見えているか。その地図の最大値を想像し得るか。
そう言ったつもりだったが、ゆーこちゃんは、にっこりと微笑んだだけだ。


磯崎いなほ

誰も他人のために成長してやることはできない。
そんな言葉を思い出した。

美は一切のなかにある、と高木さんがしゃしゃり出てきた。
応戦するか、いなほ。美は生活だ。なるほど。

磯崎いなほという肉体を味わいつくし、精神を味わいつくし、
その生活さえにも、ぼくは触手を伸ばす。
ぼくの無数の触手は、いなほの何もかもをからめとり、ゆっくりと味わう。
ぼくの名前は、劇団再生。

美は一切のなかにある。と啖呵をきった高木さんに聞こう。
一切とは、何だ。
いなほ、君も聞いているね。君が代わりに答えてみるかい。

一切とは、何だ。

ぼくはゆるやかに死にながら、と書いたのは誰だったか。


鶴見直斗

そして、
諸君! と、大仰に大上段から言ってみよう。

わたしが演劇をする以上の恐怖を持って、その演劇を観ているか!

・・・・・・・・
まあ、そんなことはないか。そんなことあるはずがないか。
ぼくは、君たちの総体である。
そして、直斗、君の総体がぼくだ。それは、もちろんぼくの全ての個体に言えることだが。

ここで一つ問題を出して、とも思ったが、
直斗、君はすぐに解いてしまうかもしれない。
それは、ぼくが現にこうして居る、複素平面と無限に関する問題だ。
暗算で解かれちゃかなわない。

代わりに、この一言はどうだ。
光の量を計測せよ。光の量の多いところでは、影もまた多い。

どうだ。


田中惠子

高木さんがさっきからちょろちょろしている。
うろちょろとぼくをうろつき回り、耳元であることないことを語りかける。
あれやこれやが、高木さんの言葉なのか、ぼくの言葉なのか、
あるいは、また他の人間の言葉なのか、定かでなくなっていく。

人間め! と、毒づいてみると、高木さんが、ニヤリと笑った。

人間はなんにでもなれる、そして、なんにでも慣れる。
誰だ!

自分自身がつく嘘にだまされず、そしてその嘘を信じないことがいかに難しいか。
誰だ!

肉体が嘘をつき、精神も嘘をつき、
嘘に嘘を重ね、いつも君をだまそうとしている。
誰だ!

ぼくだ。ぼくの言葉だ。ぼくは劇団再生。何度も言うが、君たちの総体だ。
そして、けいこちゃん、ぼくの総体が、君だ。


さとうまりこ

いつから語り始めたのか、わからない。
わからないが、今もこうして語っている。ぼくの別名は、真夜中だ。

ぼくは知っている、言葉の力を、ぼくは知っている、言葉の早鐘を、
ぼくは知っている、言葉の一生を。

ぼくが何か一言呟けば、君の棺おけが起き上がり、君に近付き、
ぼくが何か一言書けば、君の十字架が起き上がり、君に近付き、

言葉が、死を招きよせ、言葉が生を否定し、だが、まったく逆の作用を及ぼすのもまた言葉。
さとまりという生と死を肯定するのが言葉だ。
さとまりという死と生を否定するのが言葉だ。

それは、言葉遊びだ。言葉をもてあそぶな。
高木さんか。どこにいる。出てこい。


あべあゆみ

take me to the end of the world
呟きが聞こえる。

take me to the end of the world
繰り返される呟き。誰の声だ。あゆか。こぐまだのパンダだの呼ばれる君か。

take me to the end of the world
いつまで続けるつもりだ。

take me to the end of the world
いいだろう。その続きをぼくが続けよう。こんなのはどうだ。

take me to the end of the world
理性をもった動物はとたんに退屈する。退屈を超克し、

take me to the end of the world
破壊し、絶滅する永遠の精神をこそ信頼する。

take me to the end of the world
偉大な夜に口にすることができるのは如何なる一語か。

take me to the end of the world
あゆ、一つ聞こう。ぼくの名前は劇団再生だ。

take me to the end of the world
破壊を求める情熱と創造を求める情熱は、果たして等価か。

take me to the end of the world
take me to the end of the world
take me to the end of the world

偉大な夜に、何を呼ぶ。


田上雄理

随分長くここで一人、独り言。
夜はいつまでも夜ではない。偉大な夜は、いつでもあるわけではない。
高木さんが相変わらずうろちょろしている。

まあ、いいか。さて、

君の名前は? 冗談だよ、冗談。もちろん知ってるさ。
ゆう。夜だ。君は、快楽の夜を知ってるかな。
ぼくは劇団再生だ。最大の快楽を得るために、実はここにいる。
冗談? いや、まんざら冗談でもないんだ。

快楽は罪だ、だが、時として罪こそが快楽だ、と言ったのは、誰だったかな。
ぼくは、罪を犯す。それは、快楽を得るためだ。
劇団という罪を犯し、
再生という罪を犯し、
演劇という罪を犯し、

ちくしょう、高木さんがうるさくて仕方ない。

これは、ぼくの言葉だ、とぼくと高木さんが、同時に言った。


宮永歩実

真夜中だ。

最も簡単で、最も明確な言葉こそ、最も理解しがたい言葉だ。
と、誰かが語った。高木さんか、或いは、他の誰かか。或いはぼくか。
この真夜中に、不似合いな言葉だ。

あゆみちゃん、君は言葉の中にいる。
あゆみちゃん、君は言葉とともにいる。

君の目には、夜がある。君の目の真夜中はもうすぐだ。
偉大な夜を、誰憚ることなく偉大するのは、言葉だ。そして、言葉以上の言葉だ。
高木さんが、うろちょろとやっぱりここにいる。
ぼく一人の真夜中を高木さんが呵呵大笑しながら闊歩する。

あゆみちゃん、聞こえるか。その笑い声が。

ぼくは、劇団再生だ。