ぼくたちは、その言葉を知っている。
2009年8月30日 01:35:22
『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』公演で、4.5kg体重が落ちた。
公演前2週間くらいで、一気にやせた。
その体重も一週間でほぼ戻し、溶け出した筋肉は多分まだ元に戻らないながらも、
食欲は増し、食べ物がおいしく、久しぶりにほんの少量のアルコールを入れた。
公演を終えたばかりだけど、何かが変わったわけでは全然ない。
当たり前に稽古があり、当たり前に劇団員は集まり、いつものように稽古が重なる。
「おはようございます」とみんなが稽古場に集まってくる。
公演の疲労が抜けたかどうかなんか知ったこっちゃない。今日は、稽古だ。
いつもと同じように体をあたため、声を作る。
そして、今日は少しのミーティング。9月に行われる合宿の話と今後の予定を確認。
それが終われば、劇団再生の稽古だ。時間が塗り込められていく、
一枚の絵画。劇団再生の稽古場は、時間を操ることができる。
ぼくたちは、空に手を伸ばし、
ぼくたちは、あなたの名前を呼ぶ。
次の舞台の美術は、見えた。
完全に見えた。阿佐ヶ谷の地下にある会場に、言葉の空を創り上げる。
言葉に窒息してきたぼくたちの、これが、
空だ。
言葉の空は、どこまでも広がる。
言葉の空は、あなたを叫び続け、あなたを求め続け、あなたを窒息し続ける。
窒息寸前のぼくたちは、もがき、あがき、最後の叫びを叫び、
空に手を伸ばすだろう。
いつものように重ねられていく稽古を見ながら、
劇団員一人ひとりの言葉の致死量を計測していく。
ぼくの言葉で、人を窒息せしめ、一言の言葉で致死量を与え、
その一言は、
どんな言葉だ。
その言葉をぼくは知っている。
稽古場には、劇団員が溢れ、劇団員がこぼれ、彼らに、ぼく自身を見る。
次の舞台の一枚の絵。それは、あまりに広大で壮大で、
演劇に不可能はないとかつて豪語したその証明でもある。
頭の中にあるこの絵は、一点の妥協もなく現実に創り上げることができるだろう。
数ヵ月後の阿佐ヶ谷の地下に言葉の空が広がる。
ぼくたちは空に手を伸ばし、名前を呼ぶ。
名前を呼ぶことができるのは、ぼくたちの特権であり、唯一の武器だ。
言葉の空の中で窒息寸前のぼくたちは、
その言葉を知っている。
さあ、脚本を書き始めるか。
資料も何も揃っていない。見切り発車どころじゃない無謀なスタートかもしれない。
でも、書き始めてみよう。
書き始めてダメなら原稿用紙を破り捨てればいい。
落ちた体重も戻ってきている。食欲も旺盛だ。
バランスよく食べ、フルーツなんかも食べてみたりして、
エネルギレベルが上がっているのを体感。
もう少しだな、見えないものが見えるようになるのは。
もう少しだ。言葉が透けて見えて、目の前に浮遊し、緩やかに漂い、
ぼくを挑発し始めるだろう。
そうなったらしめたもの。言葉との丁々発止。
彼らを叩きのめし、彼らに殴られ、彼らを斬り、斬り、
彼らに重いパンチを浴びせられ、彼らを斬り、斬り、
言葉との夜毎の応酬。そんな真夜中がやってくる。あなたの名前を呼ぶ真夜中がやってくる。
偉大な真夜中を、こうして、待つ。
ぼくたちは劇団再生だ。
ぼくたちは、その言葉を知っている。