劇評『叫びと囁き「天皇ごっこ〜調律の帝国〜」に想う』伊藤正福(劇作家・演出家)

2009年9月16日 20:47:08

写真

(写真右端が伊藤正福氏)

劇作家・演出家の伊藤正福氏より、先日の公演『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』の劇評を頂いた。
氏は劇団再生の公演にいつも遠くより足をお運びいただく。
ニコニコと来場され、「今回も来れましたよ」と握手を交わす。
いつもだ。にこにこと色眼鏡同士握手を交わす。

公演が終了し、氏のテーブルにご挨拶に伺う。
いつも本当の感想をいただける。
厳しい批判をいただき、建設的な提言をいただき、氏のテーブルではいつも藝術の香りがする。
劇団員とも楽しげに会話を交わされ、
この公演に対するぼくの姿勢を問われ、それに答え、
ニコニコと笑むその目の奥に光る藝術の光が阿佐ヶ谷ロフトを照らす。

はるか遠くからいつもご来場いただく。
氏等との会話は楽しい。演劇に生きてきたこのテーブルの彼らには、
劇団再生は若く、危なっかしく見えていることだろう。
けれどもぼくは知っている。
彼らもまた、こんなに危ない綱渡りをしてきたのだ。
演劇創造上の危ない板を踏んできたのだ。
だから、

氏等は、微笑む。
ぼくたちを見て微笑む。ニコニコとぼくたちを握手する。

約束をした。
来年は、そちらに伺いますよ。
8月19日。のんびりとそちらに伺い、ゆっくりと語り明かしましょう。


劇評
『叫びと囁き「天皇ごっこ〜調律の帝国〜」に想う』
伊藤正福(劇作家・演出家)

舞台で、『資本論』の解読を企てる大学のゼミのようなポスト・ドラマだってある。
演劇でアジってはいけないという法はない。
もともと芝居とは、視覚聴覚に訴えて印象深く伝える芸ではなかったか。

白い布を張りめぐらせたシンプルにして幻想的な舞台装置
(檻、あるいは人間を呪縛するすべてのものの象徴か)。
その網に絡まって妖しく蠢く異形の役者たち。
腹から搾り出されるテンションの高いセリフ、
それに呼応して古代ギリシャ劇のコロスのように雄弁な音楽、そしてメリハリの利いた照明。
これらが渾然一体となって始原の呪術性をポップに蘇らせる高木マジック――
まるでヘビメタかパンクのギグのよう。
へタレな娯楽が主流のニッポン演劇界をあざ笑うかの
破天荒なパワーでエンディングまでノンストップの荒行だ。

体制に抗い、左右のラディカリズムをくぐり抜け、
獄中十二年を耐えて念願の小説家デビューを果すも、
ついには自死せざるをえなかった白皙の反逆児、見沢知廉。
その魂を舞台に呼び寄せるのにふさわしい作劇とはいえるだろう。

「革命家と狼は、老い痛み動けなくなる前に死なねばならぬ。
―どきなさい、この拳銃は引き金が軽い」
なるほど、身を挺して歴史の扉をこじ開けんとする者の神聖な覚悟と、
バーチャルなものが勝る今日的な「存在の耐えられない軽さ」をふたつながら言い得て妙、
というか気の利いたセリフだと思う。

でもね。
「まがりくねった道は真っ直ぐには歩けない」
と、ロマのことわざにもある。
それをしゃにむに突っ切ろうというのだから
マイノリティの長老ならずとも、こう呟いて口ごもらざるをえないのは年のせいか。
「やれやれ、若い者は・・・」と。

「僕たちは望んでここにやってきた!」

望んでやってきた僕たちとは
見沢知廉が生前愛用の遺品を衣装としてまとい、
氏へのオマージュを捧げる劇団再生の役者たちのことか。
(ならば役者たち一人ひとりの人生と見沢知廉の世界がどう結び合うのか、
そんなドキュ・ドラマも観たかったね)

はたまた・・・
「阿佐ヶ谷ロフト七号舎! 総員八十名、現在員八十名異常なし!」
これを合図に、舞台と客席の境界を破って延びる白い呪縛の網が、この問いへの答えとなるだろう。

さて、囚われ人の仲間となり
光と音の奔流に眩惑されながら
今は昔の、街頭デモを想っていた。
アジテーション、シュプレヒコール、石や火炎瓶の炸裂音・・・
様々去来するなかで、またふっと劇世界に引き戻される。

これは幻聴か?
そう、森田童子の、あの儚げな声。
ピアニッシモはときにフォルテを凌いで心に強く響く。
「見沢知廉」をずっと追い続けてきた作者ならではの「母性のテーマ」が鮮やかに浮かび上がる。

「お前が脱獄し、帰ってくる夢を見た。風呂にいれ、食事をさせ、お前をどこに隠そうかと考えた。
でも隠したらまた罪が重くなる。千葉に送り返すべきか。目が覚めた。よかった。夢でよかった―」

息子を待つ母の手紙、このあまりにリアルな日常感覚――不覚にも落涙である。
(ここはどうしても「森田童子」でなければならない。
あのテンポ、あのやるせなさがときに救いとなるのだ)
この場面、劇全体を貫く荒々しさのなか不意に訪れた静かなクライマックスとして秀逸、
これをエンディングとするやりかたもあったはず。
この方が見沢知廉の「罪と罰」がくっきり縁取られ、カタルシスだって期待できたのではないか。
けれども、「刑務所五訓」に象徴される体制イデオロギーを蹴っ飛ばして叫ばずにはおれなかった。

「俺はこんなところにいる人間じゃない! 俺をここから出せ! おふくろ、俺をもう一回生んでくれ!」
これは母性原理との激しい葛藤を表すセリフではあっても、後悔のことばなどでは断じてない。
人類普遍の高みへと飛翔せんとした見沢知廉の血の叫びに重なるはずだ。
それゆえにまた、祈らずにはいられなかった。
「神よ、この地獄の底に一本の糸を!」

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ニッポン近代
すべては「ごっこ」ではなかったのか。
なのに、なんと過酷な・・・『調律の帝国』。
「叫び」の音量を絞ると、こんな呟きが聞こえたような気がした。

「阿佐ヶ谷ロフト七号舎」同房のみなさんは、どんな囁きを聞いたことだろうか。

(2009年9月13日・伊藤正福)