RumiRockという予言

2011年5月24日 17:24:38

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憂国の森「作家シリーズ三島由紀夫」

何だ、このデザインは。

初めて見た時、そう思った。何だ、この「画」は。人を、どうしたいんだ。

以前、ぼくは、芝崎さんの「画」を予言だと書いた。それは今も変わっていない。予言だ。

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カラス「近松門左衛門の世界を表現」

エロスとは何かを証明するのではなく、予言している。

タナトスとは何かを証明するのではなく、予言している。

そして、これらを纏った者に最後の最後に突き付けられるのは、

「それでも、あなたは人間を信じきれるか」という灼熱に鍛え上げられた一問の問いだ。

ゲーテは語った。

「法律や制度は永遠の病気のように遺伝していく」と。

RumiRockの「画」もまた、永遠の病気のように伝播し、遺伝していくのだろう。

「人は昨日に向かう時にしか賢者になることはない」と語ったのは、誰だ。

なるほど、いいだろう。ならば、

この「画」を纏うぼくは、喜んで明日の愚者になろう。

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アザミ「気分は眠狂四郎」

RumiRock、芝崎るみ。

その「画」は、人を喰らう。

挙げた三枚は、ぼくが好きな「画」だ。一幅の演劇じゃないか。

どれもこれも欲しいと思うも、まあ、似合う似合わないという視点もあるだろう。

似合わなければ、寝間着にしてしまえばいい。

「カラス」を纏って眠る気分はどうだ。

「三島」を纏って眠る夜はどこだ。

「血しぶきのアザミ」で見る夢はどんなだ。