伊藤正福さんから劇評をいただいた。

2011年9月27日 18:08:16

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佐渡から劇場に足を運んでいただいた。
伊藤正福(劇作家・演出家)さんだ。
劇場でお会いし、握手を交わす。髭と色眼鏡。ぼくと同じだ。

佐渡での滞在を思い出す。
ひょうひょうと思考し、自らの脚本と今も戦い続け、
言葉と戦い、その片言隻語に自らを投影し、

ぼくたちは握手を交わした。


『天皇ごっこ〜蒼白の馬上 1978326〜』を観て思ったこと二、三

劇場のAPOCシアターは天井が高い。
教会の礼拝堂を思わせ、見沢知廉追悼の秘めやかな儀式を敢行するにはおあつらえの舞台だ。
それはまたシュールな巨大スピーカーの内部でもあるかのよう。

オープニング、いきなり大音響の洗礼に度肝を抜かれる。
その荘厳さたるや―聞けば映画「マトリックス」のテーマ曲とか。

舞台装置も半端じゃない。
空間目いっぱいに鉄パイプとロープを組んで張り巡らせた蜘蛛の巣状のジャングルジムだ。
「鉄塔」であり、「監獄の房」ともなる。

「あらゆるものに縛られた/哀れ空しい青春よ/気むずかしさが原因で/僕は一生をふいにした」

昔読んだランボーの詩の、こんな一節が浮ぶ。
なんの暗合か、その題は『最高の塔の歌』。

時計の針はいっきに逆回転して、そこは――

1978年早春の三里塚。
キャンディーズやピンクレディーなど
アイドルへの熱狂に象徴されるニッポン大衆消費社会から遠く離れた反帝国主義の孤塁だ。
成田空港開港阻止を叫ぶ新左翼の生き残りによって最後の決戦が闘われようとしていた。

この闘いの中から、「蒼ざめた馬」に魅入られた若き革命家・見沢知廉が誕生することになる。
当時高校生。
一見柔なハンサムボーイだが、
試験中壇上から学校教育批判の演説をぶつなど根っからの反逆児だ。
暴走族に入って街をわが者顔に駆けていたこともある。
一方、早くからドストエフスキーに親しみ、
体験したこと、目に映るものを克明に脳裏に刻みつけ描出せずにはおかない
小説家志望のナイーブな若者でもあった。

芸術家肌のラディカリストには左右の垣根も低い。
左翼がダメならとばかり新右翼に移って活動をつづけ、
「スパイ粛清事件」を主導して十二年の刑を受けて服役、
出獄後作家デビューを果たし、一躍人気作家となる。

そして数年後、自宅マンションの八階から飛び降り、自ら命を絶った。
まさに蒼ざめた馬に跨って疾駆したかの人生だった。

「革命家は、運命の定められた人間である」――。

三里塚での闘いの勝利を、日本革命のプロローグと信じ、
ついにはエピローグと認めざるをえなかったピュアーな感性に、他にどんな生き方がありえたか。

小説家見沢知廉の作品を自家薬籠中のものとしてきた高木さんこと、
彼の生と死を、しかと「時代」に戻してあげようと思ったことだろうか。
あるいはまた、十九世紀から現代に至る世界の革命運動の歴史の片隅に、
そっと墓標を立てることを無意識裏にも願ったかどうか。

舞台は、見沢が参加し小説にも書いた『七十八年の神話』(『背徳の方程式』所収)をめぐる。
見沢よりさらに一回り若い高木さん、この歴史的事件をどう舞台にのせるか。

決戦に臨む各党派を、
○○バクーニン・チーム、××トロツキー・チーム、△△サビンコフ・チームなどと名づけた。
いかにも「ごっこ」で好ましい。

「ごっこ」と馬鹿にするなかれ、命がけの「ごっこ」もあるのだ。
ワルシャワ労働歌が、中島みゆきの「世情」が朗々と流れ、赤旗が舞い、
管制塔破壊の激越なパフォーマンスが演じられる。

短歌、俳句など詩歌の連打は石つぶて、火炎瓶の炸裂のごと。

「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」(野村秋介)

それは、時代を超え左右を問わず、すべての革命者の気分、また心象でもあるだろう。
さてしかし、この『神話』をどう回収するか。
興味津々たるうちに・・・

白旗だ!

それは降伏の旗か?

そう見えて、否だ。

清算せよとか?

それもない。

何も書かれていない白地の旗にこそ、

それぞれのレボリューション、それぞれの闘いを塗り込めよと――。

* *

これはロックオペラか?と 初っ端そんな印象をもった。
これでもかと繰り出される大音響の効果に、期待は裏切られることはなかった。
いちいち唸らされる選曲の中でも、
「森田童子は元祖癒やし系だったのですね」などと思わず口を衝くほどに、
その詩と曲想と声ほど鎮魂にふさわしいものはない。
(世代が違えば、緑魔子の「やさしいにっぽん人」あたりを選んだりするのだろうけれど・・・)
「儀式」だから、というのもあるだろう。最後まで言霊ならぬ音霊の塊のよう。

それもあってか、セリフの強度、メリハリが気になった。
追悼のアジテーションだから仕方ないのかもしれない。
それにしても、正直、もう少し静謐さや遊びも欲しい。
それは戦場にある者の生理でもあるはずだ。
ことばも生硬な感じがしないでもない。

だがこれとて、灰の中奥深く埋もれたダイヤモンドの小さな瑕に過ぎないのかも、と思い返してみる。

「ヤバイよ、これ」と、
実際、劇場から去り際に、
若い観客が口にするのを聞いた(「ヤバイ」は「凄い」の最上級として使うのだそうですね)。

不寛容、不機嫌な時代の空気にあって、
廃墟に立つ教会のようなあの芝居小屋でのできごとが、
あの不敵な役者群の跳梁が、聖なる「ごっこ」の瞬間が、
ここが俺たちの最前線とばかり、
もっとも自由な精神の輝きを見せたことは特筆大書きに値しよう。脱帽。

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来年また佐渡で会いましょう。

佐渡の海で泳ぎましょう。

北一輝を訪ねましょう。