次の脚本のことばかりを考え始めて、自分の志向がどこを向いているのかを知る

2008年12月15日 06:42:13

写真

先日の舞台で鈴木さんと対談をした。
『装置としての死刑』という演題。死刑の是非をあらためて問うたのではない。
死刑の起源を、死刑を必要とした人類の心を話したいと提案した。

と、ここまで書いて鈴木さんのHPを見てみた。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』だ。死刑について、そしてもっと深くの考察がなされている。
なので、死刑トークについては、鈴木さんの今週の主張を!

写真は、トーク直前。
打ち合わせをしているところか、雑談をしているところか。
この写真を見ながら次の脚本を考える。いや、考えるんじゃないな。
大きなイメージが見えてはいる。
その大きな一枚の画を見続けている。

その一枚の画は、はっきりと見えている。
昨夜、唐突につけた次の舞台のタイトル。
そのタイトルを何度も思い浮かべる。そのタイトルと一枚の画が完全なリンクをする日を待つ。
ただ、待つ。
待つしか方法がない。
慌てて書き始めてもろくなことにはならない。それは知っている。
待つんだ。待つしかない。
一枚の画は、自己増殖し何万枚にもなるだろう。
ならないかもしれない。その時はそのときだ。その一枚の画に万年筆を突き立てる。

次の舞台の一枚の画。
これまでに何度も向かい合ってきた画だ。

次こそは、正々堂々の取っ組み合い。

次の舞台の一枚の画。
自分の深層にある恐怖。取っ組み合いか。

次こそは。