脚本を創っている、と書いたけれども

2009年1月14日 23:14:50

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やっぱり、書いている。
どうでもいいじゃん、そんなこと!と頭の中で誰かが喚いた。

まあ、どうでもいいことかもしれないけれど、なんか気になる。

午後から、ここに座り脚本を書いている。
実際に原稿用紙を埋めたのは、たったの数枚。
もう10時間もここにいるのに、たったの数枚。

参考文献を読むことに時間がかかる。
資料にあたるのに時間がかかる。
そして、何よりやっぱり考える時間が一番かかる。

今書いている『詞篇・レプリカ少女譚』は、完全な創作。
前回の『スーザンナ・マルガレータ・ブラント』には、下敷きとなるモチーフがあった。
その前の『罪と罰』にもあった。
けれども、この脚本にはそれがない。全くぼくの頭の中。
じゃあ、参考文献も資料も必要ないじゃん、と思うんだけど、そうはいかない。
やっぱり、要る。これまで以上に、要る。

創作を、妄想を、確実な時間軸に置くために裏づけを取り続けている。
参考文献や資料が、そのまま原稿用紙にのっかることはないけれど、
時間をかけて、それらにあたる。
あたりながら、原稿用紙の上で発音されるインクの音を聴く。
それが、現実感を伴えばそれは、一つの言葉になる。
インクの音が上滑りしたり、聞こえなかったりする時は、それは言葉になっていない証拠。
そんな時は、いくら書いても何も生まれない。それも一つの経験則。
頭の中の言葉が言葉として原稿用紙の上で言葉を発するときは、
グサリ、グサリと音がする。ガリガリと岩を削る音がする。

脚本を、書いている。
創ってるんじゃないな・・・やっぱり・・・

書いてるんだ。
『スーザンナ・マルガレータ・ブラント』を書くときに新著した万年筆。カスタム845。
そして、「月夜」という名前のインク。
この万年筆は、イメージを言語化する。確実に。
前作を書いているときに、それに気付いた。
何週間もあちこちで試し書きを重ねて決めた万年筆。新しい武器。
前作のラストシーンを書いているときに気が付いた。
見えるものが、ペン先に伝わっている感触。

脚本を書いている。
昨日は、創っている、と書いた。
そう思ってしまった理由も理解している。

これまでのエクリチュールを逸脱しているから自身、「書く」と言い得なかったのかもしれない。
やっぱり、ぼくは脚本を書いている。