飢餓海峡

2009年4月24日 21:59:42

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先日、歌舞伎町のあるお店で『飢餓海峡』(石川さゆり)を歌った。
その歌いだしの歌詞が同席した女性(小さい)の笑いのつぼにはまった。
こんな歌詞だ。

『ちり紙につつんだ 足の爪
後生大事に 持ってます
あんたに逢いたくなったなら
頬っぺにチクチク 刺してみる』

なるほど。こうして文字で読んでみると景色はなかなか面白い。
映画を知らないと、奇妙奇天烈な風景だ。
「飢餓海峡」は、水上勉原作の推理小説だ。すごい小説だ。何度も読んだ。
こうして映画化されているし、テレビドラマにも何度もなった。
テレビの方は、まあどうでもいいのだけれども、映画は、小説以上に凄い。
原作を越える映画をあまり見かけないけれど、これは別物だ。

監督は、内田吐夢。
三國連太郎・左幸子・伴淳三郎・高倉健などが、驚くほどの景色をフィルムに焼き付けている。
ぼくが生まれる前の作品だ。

物語の中に、そのシーンがある。
『ちり紙につつんだ足の爪を頬っぺにチクチクさしてみる』
そのシーンがまさにエンディングへの奇跡の伏線となってるのだけれども、

それを知らない女性(小さい)にとっては、とてもなんだか奇妙な歌詞に思えたのだ。
なるほど。そりゃそうだ。自分でも面白く感じる。

続きの歌詞は、

『愛して愛して 身を束ね
たとえ地獄の果てまでも 連れてって』

演歌らしい歌詞だ。
この曲は、石川さゆりが『歌芝居・飢餓海峡』という企画で歌った。
そういえば、ぼくが初めて一曲まるまる覚えたのは、石川さゆり『津軽海峡冬景色』だった。
小学校からの帰り道に、田んぼの畦道を大声で歌いながら帰った。

中学から高校にかけて、ロックだ、パンクだ、プログレだ、
反逆だ、男だ、サラリーマンにはなりたかねぇ! ネクタイなんか締めるか!
俺は一生演歌なんか聞かない! ロックだ! と息巻いていた。

息巻いていたのに、今は演歌ばかり聴いている。

『あゝこの舟は 木の葉舟
漕いでも漕いでも たどる岸ない
飢餓海峡』

『飢餓海峡』の一番の最後は、こうして締められる。
人間の心の貧しさを社会的な事件の振幅に沿わせた映画『飢餓海峡』
何度観ても、考える。考えてしまう。
考える視点が都度変わってはいくけれども、考える。

真夜中に、映画を観ようかな、と思って、
よく頭に浮かぶのは、そんな映画だ。

鈴木邦男さんから、たくさんの本が届いた。
4月も終わりか。一体いま何ページを読んでるんだろう。
10000ページのノルマを達成できているのか、できていないのか。
今月はとても楽しく読書をしていた気がする。
ひっくりかえって本ばかり読んでいた気がする。
ベッドの上や布団の上で、寝っ転がってページをめくっていた。

しかしまあ、このHPも有名になったもんだ。
一方的に書いてきた。コメントを投稿していただくシステムには、なっていない。
だから、責任をもって書いてきた。
一方的に書くが故の責任は、常に最重要と思い書いてきた。

有名になったもんだ。
毎日たくさんの方に読んでいただいている。
さて、

1000日まであと140日。
その日に、友人K&Kの仕掛ける何かが、ここで起こるだろう。

飢餓海峡で水上勉が描いたのは、日本の貧しき一面であり、人間の飢えと貧困の心であり、
そこからの脱却と、脱却できないが故の貧しさであり、
日本人の、或いは原風景であり、
内田吐夢がフィルムに焼き付けたそれは、それ以上の貧しさであり、
貧しき心ゆえの美しさであり、それを美と感じることのできる日本人のそれであり、
石川さゆりの歌うそれは、琴線に直接響くそれらの振幅の総合であり、

あと140日か。
ぼくは、140日をいつも本を読み、映画を観ているだろう。
最後の一冊を読み続け、最後の一本を見続け、最後の一行を書き続け、
その日を迎えるのかもしれない。

迎えないのかもしれない。